「生きなきゃ」という意見こそが自殺者を追いつめる

安楽死の制度化について予想どおり反論があった。「人は生きなきゃいけない」なんてことはわかっている。わかった上で書いているのだ。
今回いじめで自殺した少年は無念だったろう。しかし、現実に死を選ぶほど苦しんでいる少年に「生きなきゃ」と言ったら、彼は間違いなくこう答えただろう。「あんたには分からないよ」と。
少年はそう答えることさえ虚しいから、死を選んだのだ。今回のような事件について、「人は生きなきゃいけない」などと、お気楽なことを言ってられる人々には、決して自殺者の苦しみや無念さを理解できない。
本当に死を考えるまで追いつめられた人なら、人間は無条件に生きなきゃいけないなどと、簡単に言い切れないはずだ。それこそ自殺者に対する典型的な無理解である。自殺者の苦しみに対する認識が、まったく甘すぎる。
「人は生きなきゃいけない」という正論をふりかざす人々は、まさにそのことによって、今回自殺した少年のような人々を追い詰めているとも言える。
彼が死ななくてもいい環境とは、いったいどんなものだというのか。「人は生きなきゃ」と言い続けることで、彼が死ななくてもいい環境を作れたとでも言うのだろうか。
そういう楽観的な人々は生き残り、そうでない人々が自殺を選んでいるのだ。そんな単純な事実さえ理解できない人々に、安楽死の制度化という提案に、きちんと反論する資格はない。
僕は今回の少年のような自殺者の無念さを真剣に考えるからこそ、彼らの苦しみに対する、最悪かつ最善の策として「制度化された安楽死」を提案しているのだ。

「生きなきゃ」という意見こそが自殺者を追いつめる」への0件のフィードバック

  1. くぼっすの(謎

    いじめ2

    人は生きなければいけない、という前提でありながら安楽死という制度を整備する必要が有る、という話です。
    http://tod.cocolog-nifty.com/diary/2006/08/post_d8a2.html
    人が死にたいと切実に悩んでいる所に『生きなきゃ』という正論では神経逆なでだよ、という反論を頂きました。
    それには同意しますが、正論で諭そうとしている訳ではなく、なんとか死を思いとどまらす方法はないのか?と。
    死ななくとも良いと思わせる方法はないか、と。
    その方法が『生きなくてはい…