『ターンAガンダム』ようやく29話

ブログの更新がにぶっているのは仕事が忙しいこともあるが、その後、大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(徳間書店)、多田洋介『行動経済学入門』(日本経済新聞社)、『ニーベルンゲンの歌』(岩波文庫)などと、無節操に濫読しているにもかかわらず、まとまった書評を書けていない。
それにはもう一つ理由があって、USEN&楽天グループのブロードバンド放送「ShowTime」で『ターンAガンダム』(1999年)の全50話、30日間の視聴権を購入し、期限の2006/07/27までに50話完走しなければならないのだ。
「しなければならない」と書くと単なる義務感から観ているだけのように読めるかもしれないが、このターンAガンダムの物語は実によくできている。富野由悠季氏自身が『ターンエーの癒し』に書いているように、この物語は「竹取物語」と「とりかえばや物語」に着想を得ている。
物語の軸は、月の世界を支配する女王と地球の鉱山王の娘が入れ替わるという、たった一つしかないのだが、この軸を中心におどろくほど複雑な人間関係が展開されていく。もとは地球に住んでいた月の住人が地球に帰還しようとしたことから地球人との対立が始まり、それぞれに仲間割れを産み出し、単純な敵味方の二項対立に収集されない錯綜した利害関係が、たった一つの軸から広がっていく。
「とりかえばや物語」は性別が入れ替わるお話なので、富野氏が言っているのはターンAガンダムの操縦者であるロラン少年が、月と地球の交渉のために女装し、ローラという女性名で月の女王に紹介される点なのだろう。月の女王と地球の一市民の娘が入れ替わるという設定は、じっさいには『王子と乞食』の方から得られているのかもしれない。
物語の舞台は産業革命直後の西欧を模した設定になっており、まるで19世紀の英国大河小説のアニメ版を観ているように、ゆったりと落ち着いたペースで時間が流れていく。この点には、主人公のロラン少年と、キエル・ハイムの妹であるソシエ・ハイムという少女の「世界名作劇場」的な純粋さが大いに寄与している。
そのためにこのガンダムは、不思議と殺伐とした感じや、鬱屈したところが全くない。底抜けに楽天的なのだ。しかも、入れ替わった月の女王と地球の娘が、互いの立場を深く理解するにつれ、観ている方もどちらがどちらなのか分からなくなってくるという、物語だけで強く引き込む力をもっている。
もともと僕がこのターンAガンダムを観はじめたのは、「愛と苦悩の日記」の読者の方の勧めからなのだが、たしかにこのガンダムシリーズに限って言えば、ガンダムをまったく知らない人も、というより、僕のように大人になってからアニメを観なくなった人にも、一種の大河ドラマとしてゆったり鑑賞するに耐える作品としてお勧めできる。
ガンダムなんてヲタクか男の子か腐女子の観るものだと思っている方も、大河ドラマを観るつもりでご覧になれば、この『ターンAガンダム』に限ってはまったく期待を裏切らない。