『ゲッターロボ』と『ザンボット3』比較論

『無敵超人ザンボット3』だけを観たのでは、同時代の合体ロボットものアニメの中での位置づけが理解しにくいので『ゲッターロボ』も観てみた。こちらも僕が子供のころリアルタイムで熱中していたテレビアニメで、ご承知のとおり永井豪原作である。
どちらも3つの機体が1台のロボットに合体する点で共通だが、『ゲッターロボ』はどの機体が頭になるかで3種類の合体パターンがある点がユニークだ。
両者の明らかな違いは、やはり一般人の描かれ方だろう。敵方のロボットが船を沈没させたり街を破壊するとき、『ゲッターロボ』ではいかにも漫画的に船やビルが視覚的にきれいに破壊され、その内部に生きた人間が存在することはまったく示唆されない。『ウルトラマン』が市街地でいくら怪獣と戦っても、倒壊したビルの下敷きになって死ぬ人が描かれないのと同じお約束にのっとっている。
対して『ザンボット3』は多くの一般市民が戦争に巻き込まれて死んでいく事実を表立って描写している点で、やはり画期的な合体ロボットもので、この点だけでもお子様向けロボットアニメの枠から大きく踏み出している。
さらに登場人物の造形も両者では大きく異なっている。ゲッターロボを操縦する3人の性格は一人ずつステレオタイプ化されており、本来一人の人間が持つさまざまな性格を、3つの人格に分割して描いている。
他方、ザンボット3を操縦する3人は、それぞれが矛盾する側面を内包した人格として描かれている。たしかに描写は神勝平に偏っており、残りの2人、宇宙太や恵子の描写は不十分だが、勝平は自分の信じる正義と一般市民の信じる平和の不一致に葛藤し、恵子は両親のもとで平穏な生活を送りたいという気持ちと、地球を守るために戦わなければならないという気持ちに悩んでいる。
『ゲッターロボ』では、より強力になっていく敵を倒し、3人がロボットの操縦により習熟し、力強くなっていく過程が物語になっているのに対し、『ザンボット3』ではそれだけでなく、一人ひとりの内面的な葛藤が解決していく過程も物語をひっぱる強い力になっている。
『ゲッターロボ』がお約束にのっとった徹底して表層的で様式的な「合体ロボットもの」であるのに対し、『ザンボット3』にとっての「合体ロボットもの」という形式は、主人公の内面的葛藤とその解決を通じた少年の成長を描くために借りた、単なる手段ではないかと思えるほどだ。
どちらが優れているということはなく、現代に至るまで日本のアニメの多数派は『ゲッターロボ』型で、『ザンボット3』は少数派と言えるのではないか。