『無敵超人ザンボット3』完走だが

『無敵超人ザンボット3』を最終話まで観終えた。
物語の面では、人間爆弾についての一連のエピソードがクライマックスだったと言える。一般市民が戦災の被災者としてだけでなく、自らの肉体を兵器に改造されることで、戦闘員として、意に反して戦争に加担してしまうという、戦争の不条理さを鋭く描いているからだ。
中でも、第18話「アキと勝平」がもっとも優れている。主人公の少年、神勝平は、子供らしいほのかな恋心をよせるアキという少女が、人間爆弾に改造され、ザンボット3の母艦キング・ビアルの勝平の部屋で爆死してしまう。この脚本はかなり痛ましいので、第18話は単独でも見る価値はある。
最後の3話は、物語の面では「皆殺しの富野」の本領発揮で、勝平の祖父や父親が次々と「特攻」で死んでいく、やや退屈な展開だ。ザンボット3の他の二人の操縦者、宇宙太と恵子も敵の母艦の内部で自爆する。
「女、子供」だけは事前に睡眠薬を飲まされて、母艦から小さなカプセルで地球へと帰され、敵との最終戦は大気圏外での死闘というわけだが、ご想像のとおり神勝平だけがボロボロの戦闘ロボットとともに大気圏をつきぬけて地球に生還する。大気圏をつきぬけながらの死闘というのもファースト・ガンダムや『ガンダムSEED』で見慣れた場面だ。
そういうわけで、物語の面で素晴らしいのは中盤までだ。恵子のエピソードについても、最後の自爆の部分よりも、第12話「誕生日の死闘」の方が脚本、演出とも、はるかに素晴らしい。
ただ、演出手法の面では、最後の3話はそれまでの回と別物になっている。真っ白の画面に勝平の姿が黒線の輪郭だけで徐々に浮かびあがるなど、それまでの回の作画が基本的に「見えたまま」を描いているだけなのに対して、最後の3話には、心理描写や抽象的な描写がたびたび現れる。
おそらく監督の富野氏が最後の3話では全く手を抜かなかったのだろう。その証拠に最後から4話目の第20話「決戦前夜」は、過去に登場した敵方のロボットのうち3体が、再び攻めて来るという設定で、ほとんどのシーケンスが過去のフイルムの使いまわしで観るに耐えない。これは明らかに最終回へ向けての「時間稼ぎ」だ。
『ガンダム』の原点であるこの『無敵超人ザンボット3』を、お勉強のために観たい方は、以上のようなことから、最初の3、4話と、第12話~第18話、あとは最終話を観れば十分だというのが僕の見解だ。