やずや『雪待ちにんにく卵黄物語』コメンタリー(2)

「第八話 湧水編」では、おじいさんの家に帰ったユウキが、収穫したにんにくを湧水で洗うのを手伝う場面。収穫のシーンは、肉体労働の躍動感を表現するために、このCMシリーズには珍しく手持ちカメラである。
ラスト近く、川の流れをじっと見つめるおじいさんの横顔のカットは、ユウキ目線のカメラだ。短いカットながら、微笑むでもない無言の横顔と、それを見つめるユウキの真剣な眼差しは、おじいさんがユウキに何かの決意をうながしているように見える。
「第九話 停車場編」は、にんにくの収穫を手伝い終えたユウキが、ふたたび親戚の元へもどるバスの停車場が舞台となる。初めてユウキが演技らしい演技をする回だ。土がついたままのとれたてのにんにくを手提げのビニール袋いっぱいに土産としてもたされたユウキが、バスに乗りこんだ後、振り返って、閉まりかける自動ドアごしにおじいさんに何かを言いかけようとする。
そんなユウキを見つめるおじいさんも初めて演技らしい演技をしている。意外なほど厳しい表情で、まるで郷愁にかられがちなユウキの心をいましめるかのようなのだ。その無言の叱責を理解して、ユウキは村を離れるバスの中で、ひとり小さくうなずく。
しかし、中学生のユウキが村を離れて親戚の元で、にんにくの臭いをバカにされながらも暮らす決意を強いるものとは一体何なのだろうか。
それを予告するかのように、ナレーションがかぶさる。「秋に小さな芽を出して。長い冬に向かいます」。やはりこれはにんにくのことだけを語っているのではない。ユウキに芽生えた小さな決意は、おじいさんの元を離れてクラス二度目の冬を迎えるのだ。
「第十話 雪どけ編」は、やはりにんにくの生育が、親戚の家でのユウキの生活の隠喩となっている。冬を越したにんにくは自分の体温で雪を解かすという(植物に体温があるはずがないのだが)。
それに象徴されるかのように、親戚の家で掃除を手伝うユウキと、親戚の家の娘の間に、自然な微笑がこぼれる。ようやく打ち解けることができるようになったその生活に、雑巾を絞るユウキの顔にも、安堵の笑みが浮かぶ。雪国にも遅い春がもうすぐやってくるというわけだ。
「第十一話 なごり雪編」では、親戚の家のお兄さんが家を出るための身支度を整え、それを悲しげに見つめる妹の場面から始まる。この回ではなごり雪が降るので、季節的にはおそらく大学に進学するために都会に出るのではないだろうか。
そんな親戚のお兄さんのために、ユウキは丸揚げにんにくを持たせてあげる。玄関先で母親からそれを手渡されたお兄さんが、「にんにく?」とユウキに問いかけると、ユウキは悲しげに目をふせてしまう。しかしお兄さんはユウキにむかって、にっこりと微笑みかける。
そこに降り始めるなごり雪。ユウキは複雑な表情で、親戚のお兄さんの背中を視線で追っている。ナレーションは「なごりの雪が降るころ、にんにくも伸びやかに育ち始めます」と語る。親戚のお兄さんとのわだかまりも解けて、春に向けてユウキの自立心も育ち始めるということなのだろう。出来すぎの感もある演出である。
「第十二話 さくら編」は、親戚の娘と一緒に買い物に来るユウキの場面。冒頭の親戚の娘の台詞が重要だ。「東京では三月に咲くんだって」。そしてユウキは「うっそだー」と答える。
このやりとりだけで、ユウキと親戚の娘がすっかり親友になっていることを理解させる。そして同時に、やはり親戚の娘の兄が東京の大学に通うために上京していたのだということが分かる。簡潔なやりとりで背景の状況をすべて説明する、よくできた脚本だ。
ところで、親戚一家が登場する回から気になっていたのだが、なぜ親戚一家は完璧な標準語を話しているのだろうか。青森県内の出身なら、日常生活でここまで完璧な標準語を話すとは考えづらい。また、このCMシリーズは、親戚一家に不注意で標準語を話させるほどいい加減ではない。むしろ非常に丁寧に計算されている。
だとすると、この親戚一家は一度、首都圏に出て生活していたのを、何らかの事情で再び青森に戻ってきているのかもしれない。ただ、親戚の家は立派な一軒家で、第十一話で映るその玄関の門構えもなかなか立派である。そして親戚の家には夫婦と息子一人、娘一人の四人しかいない。
この立派な一軒家は、もとはこの親戚の家のご主人の両親が建てたものに違いない。ご主人はこの家の長男で、大学進学のためか、就職のためか、首都圏で生活するようになった。そしてそこで出会った女性と結婚し、長い首都圏の生活で夫婦ともども標準語で日常生活を送るようになった。
長男、長女も首都圏の生活の中で産まれたのだろう。ところが、そこへ青森の親が病気になったとの知らせが届く。長男として親の面倒を看るために、やむを得ず会社に青森支社への転勤願いを出し、家族四人で青森の実家にもどる。
しかし、数年のうちに両親ともに他界してしまう。首都圏にもどることも考えるが、二人の子供が既に青森の町での生活にとけこんでいるのを見て、また転校を繰り返すことで子供たちの心に負担をかけたくないと、そのまま実家にとどまる決意をした。そうして長男は高校生に、長女も中学生に育ったころ、自分の両親の兄にあたるおじいさんから頼まれて、町の中学校に通うというユウキを預かることになったのだ。
自分の両親が昔、おじいさんにお世話になっているので、喜んで預かることにしたものの、一度、首都圏での生活を経験している長男、長女から見ると、ユウキはどうしても田舎の子に見える。だから初めはにんにくばかりにこだわっているユウキのことを、心の中でバカにしていたに違いない。
しかし、長男はいよいよ自分が、かつての父親と同じように、一人で東京で暮らすようになり、長女は今まで当たり前のようにそばにいてくれた兄がいなくなってしまうことから、初めて親子や兄妹といったつながりの大切さを知る。
そして、ユウキがあんなににんにくにこだわっているのは、ユウキがおじいさんのことを思う気持ちのあらわれなのだということに気づくのだ。親戚の娘は、自分が遠く東京で生活する兄のことを心配しているように、ユウキは遠く村で一人暮らしをするおじいさんを思いやっている。ユウキのおじいさんに対する思いやりは、そのままユウキのにんにくを大切にする心にあらわれている。
第十二話では、親戚の娘はそのことをもう十分に理解している。だからこそ、市場で見かけたにんにく(福地ホワイト六片)を思わず手に取り上げたユウキを見て、親戚の娘は優しく微笑むのである。
「遅い春が、青森にもおとずれました。今年のにんにくも元気に育っています。たくましく育っています」、そう語るナレーションに、仲良さそうに桜並木の下を歩く親戚の娘とユウキの笑顔が重なる。ユウキも、元気に、たくましく育っている。
もしかするとこの満開の桜は、親戚のお兄さんが上京してからすでに一年が経った、青森の遅い春なのかもしれない。
ここまで季節がめぐっても、ユウキの両親は一度も登場しない。そうなると、もしかするとユウキの両親は亡くなっているのではないかと疑いたくなってくる。おばあさんが亡くなっていることは確実のようだ。すると、小学生の最後の数年間を、ユウキはおじいさんが一人で育てていることになる。
おじいさんは、ユウキの両親が亡くなったとき、いずれ青森の町に住む自分の甥夫婦にユウキを託さなければいけないことを予想していたのだろう。自分も老い先長くはない。ユウキが自分になついてくれる、やさしい孫であることはうれしいし、いつまでも自分のもとにいてくれたらどんなにかいいだろう。
しかし、自分に残された人生を考えれば、ユウキは一日も早く甥夫婦の家族にとけこんでくれなければならない。そうでなければ、ユウキは自分を失った悲しみに負けてしまうかもしれない。
だからこそおじいさんは心を鬼にして、中学生になったらユウキを甥夫婦のもとに送り出そうと決意していたのだろう。
第一話の冒頭、ナレーションは語っている。「雪深い山里に、ある日、たった一つ、特別なにんにくが生まれました」。もちろんこれは直接には雪待ちにんにくのことを語っているのだが、おじいさんにとってユウキは、ある日、たった一人生まれた、特別な孫であることに違いない。すでに第一話から、にんにくはおじいさんにとってユウキの暗喩になっていたのである。
さて、現在放送されているのはこの第十二話までだが、次に何か「事件」が起こるとすれば何だろうか。そしてこの物語の結末はどうなるのだろうか。その一つの可能な物語については、また次回以降に書いてみたい。