英『エコノミスト』誌と梅田望夫氏『ウェブ進化論』の対比(1)

英国の『The Economist』誌が2006/04/22-26号で「A survey of new media」(新しいメディアについての調査)という特集を組んで、ブログ、ウィキペディア、グーグル、ポッドキャスティングなど、ここ10年間にインターネットに新しく登場した様々な技術が、社会や既存のマスメディアに与える影響を冷静に論じている。梅田望夫著『ウェブ進化論』の煽動的な書き方を中和するためにも、その内容を検討してみたい。
「新しいメディアについての調査」は8つの節に分かれている。第1節では、グーテンベルクによる「movable type(組みかえ可能な活字のことで活版印刷の要素技術)」の発明と、Movable Type(周知のとおりブログ管理システムの名前)の登場のそれぞれを、時代を画する出来事ととらえている。
グーテンベルクによるmovable typeの発明はマスメディア時代の幕開けとなり、ブログ管理システム「Movable Type」の登場は参加型メディア時代の幕開けとなったと書かれている。
参加型メディアの特徴として挙げられているのは、ふつうは聴衆が非常に少ないこと、大メディア企業どうしが聴衆の取り合いをするのでなく、小さな会社や個人どうしが競争、というより協働しあう世界であること、かつては聴衆だった人々どうしが「会話」すること、その「会話」は参加者どうしは対等だと考え(Technoratiの創業者デヴィッド・シフリーの言葉)、間違いの可能性を認めた上で、終わりなく続くものである(ハーバード大学バークマン・センタの研究員デヴィッド・ワインバーガーの言葉)ことなどだ。そして新しいメディアの時代の基本的な考え方は、真理の出どころは一つではなく複数あって、僕ら自身がどれが真理なのかを選び出すことだ(JotSpotの創業者ジョー・クラウスの言葉)と書かれている。
TechnoratiやJotSpotなど、Web2.0の世界の企業家たちが実際に語ったことを引用して、新しいメディアの本質を簡潔に浮かび上がらせる『The Economist』の書き方には説得力がある。少なくとも、情報を持たない僕ら読者に対して、逐一情報源である人名を明記してくれている点で、『The Economist』の記述は信用できるものになっている。この点をまず『ウェブ進化論』の粗雑な記述との大きな違いとして指摘しておく。
つづく第2節には、ブログの新しさは、簡単にリンクを張る機能と、一素人の発言が編集なしに公開される点にあると書かれてある。ブログという言葉の起源もちゃんと書かれてある。1997年(この「愛と苦悩の日記」が始まったのと同じ年)にジョーン・バーガーという人物が自分Webサイトを「weblog」と呼び、1999年にピーター・マーホルツという人物がそれを「blog」を略したのが始まりということだ。親切な記述である。
この第2節では、ブログの世界でもやはり、ブログの執筆者が同時に、他人のブログの読者でもあり、両者の区別がなくなっている点を、新しい参加型メディアの特徴だと書いている。Hotmail開発者のサビーア・バティア氏の発言として、「ジャーナリズムはもはや一方的なお説教ではなく、一種の会話になるだろう」という言葉が引用されている。
ところで、この第2節では梅田望夫氏が決して触れない事実が一つ示されている。Movable Typeの開発元であるSix Apart社の3番目の製品「LiveJournal」の各ブログの平均読者数が7人であることだ。これはSix Apart社の創業者トロット氏の発言として引用されている。
このように参加型メディアの聴衆の規模が非常に小さいことを根拠付けるのに、『The Economist』はリバプール大学の人類学者ロビン・ダンバー氏の提唱する「ダンバー数」を引き合いに出す。ダンバー氏は大脳新皮質の大きさと、その生物種が形成できる集団の個体数の間に、安定した相関関係があることを発見している。人類の場合、その上限は150人と計算される。ほとんどのブログの場合、お互いがお互いのブログの読者であるような集団は、150人よりもはるかに少なくなっていると『The Economist』は指摘している。
梅田望夫氏は『ウェブ進化論』の第四章「ブログと総表現社会」の中で、エリートと大衆の間に数百万人規模の中間層を想定し、「まさにこの『ふーん、そーだよねー』的な連帯が、1000万人の総表現社会参加者で生まれることこそが、全く新しい可能性なのだと思う」(p.150)と書いている。
しかしSix Apart社の創業者自身が提供するデータによれば、これが大変な誇張であることがわかる。『The Economist』は、参加型のメディアではお互いがお互いのブログの読者であるような「連帯」を生む集団の規模は、数百万人よりもはるかに小さいと書いている。梅田氏のイメージは、数百万単位の「玉石混交」の中から、「甲子園」式の競争によって「玉」が選別されるというものだが、参加型メディアで相互作用が起こる規模は、実際にはもっと小さいということだ。
次の第3節ではジャーナリズムも参加型になることで、より良いものになると書かれている。韓国でのOhmy NewsというWebサイトが、一般市民からニュース原稿を集め、読者がそれを評価することで執筆者に報酬を与えるという仕組みで大成功した事例としてあげられている。しかし、Ohmy Newsが韓国では唯一の成功例であるという現実も忘れず伝えている。
ただ、既存メディアは、記事に対する固定リンク(トラックバック)を許可したり、自由なコメントを許可するなど、読者参加型の仕組みを取り入れなければ、新しいメディアの時代に生き残ることはできないだろうという指摘もしている。この点は梅田望夫氏の主張と一致しているが、『The Economist』は「既存メディア=忌むべき権威」というステレオタイプの図式はとらず、New York Times紙のWebサイトなどの技術革新を、既存メディアの「反撃」として肯定的にとらえている。
第4節ではWikipediaが取り上げられているが、冒頭の驚くべきエピソードは、『ウェブ進化論』のp.193~194、Wikipediaでは間違った記事がどれくらい迅速に修正されるかについての実験例から漏れている。ブライアン・チェースという人物がWikipediaに投稿したガセネタが、実に132日間もそのままの内容で残り続けたというこのエピソードを、梅田氏は知らなかったのか、知っていて書かなかったのか。
さらに梅田氏は「ウィキペディアは、今の私を含む不特定多数無限大の人々の行為を集積することで、この百科時点を作り出す場になっているわけで、厳密に言えば、今日のウィキペディアと明日のウィキペディアは違う。日々、進化を続けているわけです」(p.188)と書いているが、この梅田氏のWikipediaについてのイメージは、『The Economist』でWikipediaの創設者自身によって否定される。
Wikipediaの創設者ジミー・ウェールズ氏は次のように語っている。ダーウィンの進化論的な仕組みは、Wikipediaのコミュニティーを語るにはふさわしくない。Wikipediaの編集プロセスは皆さんが思うよりずっと伝統的だ。記事の編集の半数は、全利用者の1%より少ない人数で、実際には数百人のボランティアで運営されている。彼らはお互いを知っていて、その名声に値する現実のコミュニティーである、と。
つまりWikipediaは梅田氏の言うように「不特定多数無限大の人々」が、日々その内容を付け加え、修正することで進化しているわけではなく、お互いの実力を知る数百名の精鋭部隊によって運営されているということだ。これは『ウェブ進化論』の第五章に梅田氏つけた題名「マス・コラボレーション」とは言えない。ここでも梅田氏はWikipediaの革新性を誇張して、僕ら読者に間違ったイメージを植えつけている。
その他、ブリタニカ百科事典に見つかった間違いと、Wikipediaに見つかった間違いの数にそれほど差がなかった点は、梅田氏が『ウェブ進化論』で書いているとおりだ。そしてブリタニカ百科事典の編集者が、その事実に敵意むき出しの反応を見せたのに対し、Wikipedia側は大して反応しなかった点を、興味深い事実として取り上げている。
第5節以降は、新たに記事を起こして検討する。