差別の固定を正当化する藤原正彦氏の「惻隠の情」(後編)

そして「平等」という概念が単なるフィクションであることを論じる箇所でも、女性との関係が登場する。
「私は小学生の時から勉強はめざましく出来ましたが、女性にはいっこうにもてませんでした。いまだに何とかならないかと思っておりますが、世界中の女性の目がくもっているので、なんともなりません。そのうえ絵の才能は小学校からずっと通信簿で『2』でしたし、中高六年間続けて多少は自信のあるサッカーも、ベッカムの足元にも及ばない。夫婦喧嘩では女房にすら敵わない。人の能力はなにひとつ平等ではないのです」(p.89)
まだ『国家の品格』をお読みでない「think or die」愛読者の方々は、藤原正彦氏のひどく「品位」を欠く議論が、いい加減バカらしくなってきたと思うが、いましばらくお付き合い頂きたい。
藤原氏が「平等」という概念に代わるものとして擁護するのは、武士道の「惻隠の情」である。そもそも「平等」とは、差別を撲滅するために生み出された概念だと藤原氏は考えているようだ。
「差別に対して『平等』という対抗軸を無理やり立て、力でねじ伏せようというのが、闘争好きな欧米人の流儀なのです。(中略)我が国では差別に対して対抗軸を立てるのではなく、惻隠をもって応じました。弱者・敗者・虐げられた者への思いやりです。惻隠こそ武士道精神の中軸です。人々に十分な惻隠の情があれば差別などはなくなり、従って平等というフィクションも不要となります」(p.91)
このような「平等」についての議論から、藤原正彦氏が、女性に「弱者」であってほしいと望んでいることは容易に読みとれる。女性に限らず、差別される者が「弱者・敗者・虐げられた者」でなければ、「惻隠の情」の必要性そのものが成り立たなくなってしまうからだ。
これは非常に危険な考え方である。というのは、もし差別される者が「弱者・敗者・虐げられた者」の地位から抜け出そうと努力しはじめたとき、藤原正彦氏は「惻隠の情」をどうするつもりなのだろうか。「闘争好きな欧米人の流儀」で、差別される者たちが立ち上がっても、「惻隠の情」はまだ有効なのだろうか。
「差別を本当に撲滅しようとするなら、平等という北風ではなく惻隠という太陽をもってしなければなりません」(p.91)
女性は「弱者」で哀れむべき存在であるからこそ、「思いやり」という「太陽をもってしなければ」ならない。らい病患者は「虐げられた者」だからこそ「惻隠の情」の対象に値する。
もうお分かりのように、藤原正彦氏のいう差別の解決策「惻隠の情」は、差別される者が、永遠に差別される者である限りにおいて、有効な解決策なのだ。差別される者たちが自ら差別と戦うために立ち上がったとき、彼らはもう「弱者」ではなくなり、「惻隠の情」や「思いやり」という「太陽」をほどこしてやることもできなくなる。
女性たちが黙って「弱者」の地位に甘んじてさえいれば、「惻隠の情」をほどこしてやるのに、下手に自己主張などするからいけないのだ。自分が女性にもてないのは、女性の方が自由を主張するからである。藤原正彦氏の女性観は、「惻隠の情」という考え方に端的にあらわれていると考えていい。
藤原氏の書いているように、欧米の「平等」という概念が「闘争的」なのだとすれば、それは、差別される者がその地位から抜け出す権利を認めているからだ。差別される者は、「惻隠の情」などといった余計なおせっかいをふり払って、その地位から抜け出す権利がある。
ちなみに、藤原正彦氏は第三章で「エリート」養成の必要性を論じているだけでなく、第七章ではインドのカースト制を「国家の品格」の一例としてあげている。「惻隠の情」は、差別する者、差別される者が固定されていてはじめて成立するのだから、当然といえば当然だ。
そして藤原正彦氏は「自由」という概念もフィクションにすぎないとしりぞけるが、その箇所でまたもや女性との関係を持ち出す。
「私が、好きな女性に接近する自由を行使すると、その女性は必ず私から遠ざかる自由を行使する、というのが私のこれまででした。自由と自由が衝突しなかったら、私は夢のような人生を送れたはずだったのです」(p.93)
藤原正彦氏が「自由」「平等」という概念をしりぞけるのは、自由と自由が衝突して結局どちらかが不自由になるから、平等と平等が衝突して結局不平等になるから、という理由だ。
つまり、完全な自由も、完全な平等もないという事実を理由に、自由と平等をかんたんに捨て去り、代わりに「惻隠の情」を持ち出している。女性が自由を行使しなければ、女性が平等を主張をしなければ、女性に「惻隠の情」をもって対することができるのに、差別される者が自由や平等を主張するから、「惻隠の情」が成り立たなくなってしまう。藤原正彦氏はこのように主張しているように見える。
第五章、武士道精神の復活を主張する章で、藤原正彦氏は幼いころ自分に武士道の考えをたたきこんでくれた父親(作家・新田次郎氏)に感謝して書いている。
「しかも、父の教えが非常に良かったと思うのは、『それには何の理由もない』と認めていたことです。『卑怯だから』でおしまいです。で、私はその教えをひたすら守りました。例えば『男が女をぶん殴っちゃいけない』と言ったって、簡単には納得しにくい。現実には、ぶん殴りたくなるような女は世界中に、私の女房を筆頭に山ほどいる。しかし、男が女を殴ることは無条件でいけない。どんなことがあってもいけない」(p.127)
なぜ藤原正彦氏は女を殴りたくなるのか。それはこの直前に書かれてある父の言葉にはっきりと書かれてある。
「父は『弱い者を救う時には力を用いても良い』とはっきり言いました。ただし五つの禁じ手がある。一つ、大きい者が小さい者をぶん殴っちゃいかん。(中略)三つ、男が女をぶん殴っちゃいかん」(p.127)
男は女より無条件に大きく、強い者だから、弱き者である女性を絶対にぶん殴っちゃいかんのである。つまり、藤原正彦氏が女を殴りたくなるのは、弱き者であるはずの女が強く見えることがあるからなのだ。
女性は永遠に弱き者である限りにおいて、武士道の「惻隠の情」の庇護の対象になる。そして弱き者であるから、真剣にとりあうに値しない。女性との関係は私的な領域に押しこんでおいて、必要に応じてユーモアのネタとして使えばいい。それによって公的な領域である『国家の品格』の本論・骨格が揺るぐようなことはない。
ところが、以上に見てきたように、藤原正彦氏は自分の女性観をうっかり漏らすことで、自分の武士道擁護論がきわめて危険な差別固定化の思想を孕んでいることを露呈してしまっている。エリートである藤原正彦氏にとって、やはり女性との関係はつまずきの石(スキャンダル)になっているようだ。