藤原正彦著『国家の品格』を批判するための前提条件

まず藤原正彦氏の『国家の品格』を粉砕するにあたって、藤原氏が武士道精神に反するような極めて「卑怯」な防御線を張ってあることを知っておこう。藤原氏は読者からの反論をあらかじめ封じるために、『国家の品格』の第二章「『論理』だけでは世界が破綻するのなかで、「言うまでもなく、論理は重要です。しかし、論理だけではダメなのです」という論理を展開している。
もし藤原氏の『国家の品格』に僕らが論理的に反論したとすれば、藤原氏はきっとこう反論するだろう。「その論理至上主義こそ、私が否定している当のものなのだから、あなたの反論は無効である」と。
しかし第二章を読めばわかることだが、藤原正彦氏は「『論理』だけでは世界が破綻する」ということを、できるだけ論理的に説明しようと努力している。「論理だけではダメだ」という命題について「これからそれを証明したいと思います。理由は四つあります」と宣言した上で、(1)論理には限界があること、(2)最も重要なことは論理では説明できないこと、(3)論理にはそれ自体論理的に証明できない出発点が必要なこと、(4)長い論理は信頼性が低いことの4点をあげている。
藤原氏がやっているように、論理の限界を論理的に説明することを認めてしまうと、ふつうの論理的思考能力がある人なら、すぐに次のような疑問がわいてくるだろう。では、いったいどこまでが論理的に説明してもいい範囲で、どこからが論理的に説明してはいけない範囲なのか。その線引きは誰が決めるのか。その線引きをする権利は誰にあるのか。
全ての人間には自由にものを考える権利があるとすれば、その線引きを最終決定する権限は誰にもない。それぞれの人が自分なりに線引きをすればいいだけのことで、藤原氏の身勝手な線引きにしたがう必要はない。
しかし藤原氏はおそらく自分の線引きこそが正しいと強弁するだろう。そうでなければわざわざ『国家の品格』という本を書く動機が見当たらない。現に藤原氏自身が本書の冒頭でこう書いている。
「私が確信していることは、日本や世界の人々が確信していることとしばしば異なっております。もちろん私ひとりだけが正しくて、他のすべての人が間違っている。かように思っております」(p.11)。
これで『国家の品格』を粉砕する条件がととのった。藤原氏はあくまで自分ひとりだけが正しく、僕ら全員が間違っていると主張しているのだから、僕らは藤原氏ひとりだけが間違っていると反論することができるわけだ。
それにしても「私ひとりだけが正しくて、他のすべての人が間違っている」などということを、一般の書店で流通することがあらかじめ分かっている原稿に書いてしまえる藤原正彦氏は、常軌を逸している。ただただ、常軌を逸している。

藤原正彦著『国家の品格』を批判するための前提条件」への0件のフィードバック

  1. アヴァンギャルド精神世界

    国家の品格

    ◎我がないこと、いじめがないこと
    電車で往復1時間半乗る間に「国家の品格」を読んだ。結局、著者が、日本は品格を取り戻すべきだと考えていることはわかったけれど、品格の本質は何であるかは、著者自身も納得できていないと思った。
    1.私をなくす
    国家の品格とは、人間の品格のこと。人間の品格とは、どこにあるかと言えば、その人間の教養とか社会的地位とか資格とか識見にあるのではなく、生きざまにあるように思う。
    そし…