再び日常へと戻っていく日常と『エウレカセブン』サントラ

予想されたことだが、今週から朝、通勤電車の中で『交響詩篇エウレカセブン オリジナルサウンドトラック1』を密閉型ヘッドフォンで聴きながら、つり革にぶら下がって居眠りする毎日だ。ほとんどが佐藤直紀作曲の管弦楽で、壮大な曲、神秘的な曲(ほとんどドビュッシーの剽窃のような曲もあるのはご愛嬌)、短い挿入曲にアニメーションの様々な場面が思い出される。
「予想されたことだが」と書いたのは、数か月前には松本零士の『銀河鉄道999』や『新竹取物語1000年女王』のオリジナルサウンドトラックを毎日やはり通勤電車の中で半分夢の中で聴いていたからだ。
こうして数か月単位で同じようなパターンの生活が繰り返され、来年の今ごろ何をしているのかも予測することはそれほど難しくない。びっくりするような劇的な変化など訪れるはずもなく、もちろんこれが他ならぬ日常だと言ってしまえばそれまででである。
毎日の生活に変化を与えているものは、強いて言えば何だろうか。僕の場合、食べ物や運動など、感覚的な刺激は何ら変化をもたらさない。感覚的な刺激のうち、唯一の例外は聴覚だろうか。しかし聴覚以上にもっとも変化を与えてくれるのは、新しい考え方や物の見方である。考え方や物の見方が変われば、世界の様子は一変する。
しかし一変したように見えた世界も、少しずつまたもとの日常的な様相へと溶け込んでいく。『交響詩篇エウレカセブン』のような、観方によっては荒唐無稽な世界観も、一時的に自分の認知を変容させるのには役立つ。松本零士のアニメーションも、フランス現代思想に関する書物も同じことで、しばらくたてば世界はまたもとの日常へともどっていく。
一瞬だけ描かれた当時の鮮やかな色彩をとりもどした中世のフレスコ画が、再び色あせていくような、と書くと気どりすぎになるが。そうして波のように打ちよせては引きかえすだけのリズムの、十分に予測可能な日常とこれからの時間には、いったいどのような価値が見いだせるだろうか。
ちなみに佐藤直紀氏は『ALWAYS 三丁目の夕日』の音楽で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。『交響詩篇エウレカセブン オリジナルサウンドトラック1』には、僕が比較的好きなSUPERCARというグループの『STORYWRITER』という曲が入っている。このアニメのために書かれた曲ではなく、制作者が挿入歌として選んだ曲だが、トラパーの波に乗る爽快感がよく表現されている。