『エウレカセブン』全50話完走

ようやく『交響詩篇エウレカセブン』の全50話をインターネット放送で観終えた。13日かけたので1日あたり4話。出勤前、朝食をとりながら1話、帰宅後に3話のペースだ。この「愛と苦悩の日記」はフランス現代思想に関する記事を除いて、分かる人にしか分からないヲタク的サイトにしたくないので、『交響詩篇エウレカセブン』について専門用語を最小限にとどめた個人的な解説を書いておく。専門用語に関する詳細な解説は「はてな」の「エウレカセブン」グループを参照のこと。
『交響詩篇エウレカセブン』は、スカブコーラル(「サンゴ礁状のかさぶた」の意味)と呼ばれる知的生命体と、同じく知的生命体である人間が、地球上で共生することは可能かという問いを主題としている。おそらく人間と自然の共生という永遠の主題の反復である。
舞台設定は今から1万年後の地球。1万年前(つまり現代)、何らかのきっかけで地球に飛来したスカブコーラルの原型は、融合するという方法でしか他者と意思疎通できないため、地球上のあらゆる生命をのみ込んでいく。人類はそれを恐れて地球を脱出、スカブコーラルは地球を覆いつくしたところで、自らが完全な孤独に陥ったことに気づき、他者の存在がいかに大切かを初めて知る。
1万年後、人類が再び地球にもどって来たとき、スカブコーラルは人類こそ自らが対話し得る唯一の知的生命体であることを理解していたので、1万年前のようにただ融合しようとして人類を恐れさせるのではなく、それ以外の方法で人類と対話し、地球上で人類と共生する可能性を模索しようとした。そのためにスカブコーラルは、人間と同じ形をした人型コーラリアンを人類のもとに送り出した。
その人型コーラリアンの一つが、このアニメのタイトルにもなっている主人公の少女エウレカである。エウレカは自らの出自についての記憶がなく、いわば「白紙の書物」として人類に提示される。
しかし人類の一部は人類だけが地球上で生き延びるべき存在だと主張、スカブコーラルを殲滅するための地球規模の軍事作戦を発動する。これを阻止し、人類とスカブコーラルの共存をめざす集団は、エウレカを人間の少年レントンと引き合わせ、この二人に人類とスカブコーラルの共存する未来を託す。
これだけコンパクトにまとめてしまうと、何ということもないエコロジーなお話だが、エウレカとレントンの極めて個人的な恋愛の成就が、地球の救済と直結しているという飛躍がアニメーションらしいおとぎ話になっている。ラブストーリーとして観た場合、スカブコーラル(女性)と人間(男性)と人型ロボット(女性)の三角関係、スカブコーラル(女性)と人間(男性)と人間(男性)の三角関係など、種を超えた関係の心理描写にまで踏み込んでいる点が興味深い。
また、仏教に似た宗教を信仰する急進派のテロリズムが描かれたり、「ワルサワ」という都市で民族浄化のための大量虐殺が起こるなど、現実のテロや戦争を想起させる挿話もある。仏教的含意が盛りだくさんでありながら、クラブミュージックやサーフィンに似たスポーツなどのサブカルチャーも登場する。
それでいて男は男らしく、女は女らしくという保守的な性別役割分業が徹底している物語で、少女エウレカが冷徹な軍人からしおらしい少女に変化していくと同時に、少年レントンは情けない子供から、頼りがいのある男に成長していく。
しかし日曜朝7時という幼稚園児や小学校低学年向けの放送時間と、狙いとしている視聴者層がまったく合っていないことや、主人公の少女エウレカに「セブン」をつけて、明らかにウルトラセブンを連想させる「エウレカセブン」というダサダサの題名をつけてしまったことから、視聴率はかなり低迷したままテレビ放送を終えたようだ。ちなみに「セブン」は放送時間の朝7時ということと、劇中、スカブコーラルと人間が心を通わせたときに七色の虹が空を覆う超常現象を意味している。らしい。
長いフィクションに付き合うと、そのフィクションの出来、不出来にかかわらず、完結したところで多少の虚脱感に襲われるのはやむを得ないだろう。