梅田望夫『ウェブ進化論』第三法則「不特定多数無限大」の虚偽

昨日に引き続き梅田望夫氏『ウェブ進化論』の詳細な再検討を行う。今回は(≒無限大)×(≒ゼロ)=Somethingという仮説を取り上げる。この仮説は「第一章『革命』であることの真の意味」で、ネット世界が劇的な発展を始めた根拠としてのネット世界の「三大法則」というべき新しいルールの一つとして、「神の視点からの世界理解」「ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏」とならんで第三法則としてあげられているものだ。
この第三法則は序章「ウェブ社会-本当の大変化はこれから始まる」で真っ先に取り上げられている。以下にその説明を引用してみる。第三法則を成立させた要因として「不特定多数無限大の人々とのつながりを持つためのコストがほぼゼロになった」ということがある。
「従業員一万人の企業といえば立派な大企業であるが、この企業が一日稼動すると八万時間が価値創出のために使われる計算になる。『1万人×8時間』の人数を増やしながら、時間を短くしていくとどうなるだろう。10万人から48分ずつ時間を集めることができれば8万時間になる。100万人ならば1人4分48秒でいい。1000万人なら28.8秒。1億人なら3秒弱である。つまり従業員1万人の企業の社員が丸1日フルに働くのと同じ価値を、ひょっとしたら1億人の時間を3秒ずつ集めることでできるかもしれないのだ」
この仮説が端的に間違いであることは明らかだ。たしかに人間は3秒間で何らかの付加価値を生み出すかもしれないが、3秒間で付加価値を生み出せるのは、その人が生まれてからそれまでに一定の教育を受け、自らも情報収集し、それにもとづいて何かを考えたり労働したりした結果なのであり、3秒間で何もないところから付加価値を生み出すわけではない。
付加価値創出の瞬間だけに注目すれば、それはたったの3秒かもしれないが、その付加価値が生み出されるためには、人間というものは長い学習期間が必要なのだ。そして残念ながら人間が何事かを学習するための期間を、かんたんに短縮することはできない。
人間が何事かを一定水準にまで習熟するためには、必ず一定の期間が必要である。そこが人間とコンピュータの決定的な違いであり、あらかじめ作成したプログラムを流し込みさえすれば、瞬時に付加価値を生み出せるコンピュータと、脳細胞が有機的に変化するまで待たなければならない人間との違いだ。これは普通の人なら誰でも理解できる、コンピュータと人間との差異である。
梅田氏がこの点を完全に無視して、付加価値の算出に関与する人間の数と、同僚の価値の算出に必要な1人あたりの「労働」時間に、単純な双曲線を仮定してしまうのは、素朴というにもあまりに素朴すぎる。
『ウェブ進化論』の中では、この第三法則が随所で援用されている。たとえば「第4章 ブログと総表現社会」では、「本書全体を貫く背骨の一つに『不特定多数無限大』というキーワードがある」として、この第三法則がネットによる人類の「知的生産革命」とでも言うべきものの根拠とされている。
「革命」という名前がついているからには、梅田氏は意識的・無意識的とにかかわらず、そこに階級闘争の含意をもたせており、第4章の主題は「エリート対大衆」という表現行為における二層構造を崩壊させる「革命」的な力をネットがもっているということである。この点はまた後日、詳細に検討したい。
もう一点、「不特定多数無限大」という上述の第三法則は、人間の価値創出行為が一定の学習期間を必要としていることだけでなく、人間にとって時間の流れが必ずしも均質なものではないことも無視している。梅田氏は、人間にとってはどの1秒も同じ1秒であるという素朴な時間観、今となっては時代錯誤のデカルト的な空間化された時間観を、何の反省もなく前提してしまっているのだ。
しかし、人間は客観的に測定された同じ1秒間で、つねに同一量の価値創出ができるわけではない。価値創出の作業に集中している場合でも、人間の行為にはむらがある。これも常識的に考えれば当たり前のことで、むしろ人間が同じ単位時間でつねに同じ価値創出ができるという梅田氏の考え方の方が無理がある。
もっと卑俗な表現をすれば、人間にはそもそも休息時間が必要だし、意図せずして思考や行為が横道にそれていくこともある。このように梅田氏の主張する第三法則は、氏がテレビ東京系『ワールドビジネスサテライト』に出演したときも、わざわざフリップ付きで紹介されていたにもかかわらず、僕らの常識的にも、現代哲学の観点からも、そしておそらくは現代の最先端の科学の観点からも、信用するに値しない仮定なのである。
だとすれば、この仮定が「本書全体を貫く背骨の一つ」であるとされる本書全体の主張が深刻な危機にさらされることになる。