『交響詩篇エウレカセブン』最終回

今日、『交響詩篇エウレカセブン』最終回1時間スペシャルが放送された。ShowTimeでの無料インターネット放送は今日の深夜24時からなので、待ちきれず、初めてハードディスク録画して午前中観ていた。

ところで僕がこの「愛と苦悩の日記」で『交響詩篇エウレカセブン』をこきおろしていることに関連して、10代の『エウレカセブン』ファンの少年からメールを頂いた。『エウレカセブン』はいろんな賞を受賞しているのだから、けなさないで欲しいという、別の権威にすがって僕に反論するという、少年らしい内容のメールだ。
ただ、この「愛と苦悩の日記」の親サイトである「think or die」のエッセーも含めて、筆者である僕が相当ひねくれた性格であることを考えると、ここ最近書いている『エウレカセブン』批判も文字どおりに読んでいいだろうか。
結局のところ僕は1月から毎週インターネット放送で『エウレカセブン』を観続けているし、今日の最終回もしっかり観てしまっている。確かにその作品世界は『新世紀エヴァンゲリオン』に比べれば、男女の異性愛をはじめとする分かりやすい二元論が支配しているし、何よりも明るい。底抜けに明るい。
今日の最終回でも、まさかハートマークの中に「レントン」「エウレカ」の文字といった、相合傘レベルの落書きが地球を救った英雄の「墓碑銘」になるとは思わなかったし、主人公の少年レントンが、純白の機体に変貌をとげたニルヴァーシュtype ZEROという人型ロボット(このネーミングも容易に『エヴァンゲリオン』のエヴァ零号機を思い出させる)に乗って、エウレカのいる巨大な球体に侵入していくのは、恥ずかしいくらい明らかに「受精」のメタファーになっている。球体の中でレントンがエウレカに再会したとき、「君と一体になりたいんだ」と語るのも、僕と同じ世代の『エウレカセブン』の脚本家がそこに性交の含意をもたせていることは明白だ。
要するにこれ以上ないというくらい屈託のないハッピーエンドだったのである。敵軍だった少年ドミニクと少女アネモネも、面映くなるくらい日常的な恋人どうしにもどっているし、人型ロボットのニルヴァーシュは、その名前から予想されたとおり、悟りの境地である涅槃(ニルヴァーナ)の具現化だったことが最終回で明らかになった。
...という具合に、ここまで細部に注目しながら毎週放送を観てきた僕にとって、『交響詩篇エウレカセブン』というアニメーションが、その出来の悪さゆえに愛すべき作品でないわけがない。メールを頂いた10代の少年は、ちょうどホランドやタルホのように、ストレートな愛情表現ができない大人の事情というのを分かってほしい。