『交響詩篇エウレカセブン』第47話

■毎週日曜あさ7時からMBS・TBS系で放送中、もうすぐ最終回のアニメーション『交響詩篇エウレカセブン』の話である。なんとか『新世紀エヴァンゲリオン』の二匹めのどじょうを狙おうと1年にもわたって放送を続けているロボットものだが、以前この日記にも書いたようにストリーミング放送で最新話を無料で視聴できるので毎回観ている。
壮大で哲学的な世界観を何とか劇的に描こうという努力の空回りぐあいがとても痛々しい作品である。第47話『アクペリエンス・4』という題名からして何のことだか分からない最新話では、ついに謎の生命体「スカブコーラル」の正体が明らかにされた。主人公の少年レントンの姉がなぜかすべてを知る者として登場し、スカブコーラルの一万年前にさかのぼる歴史を語るという構成だ。なぜレントンの姉が語り手として選ばれているのかもよく分からない。
スカブコーラルは一万年前に地球に落下し、海中深く生息し始めたが、その唯一の自己表現の方法が他の生命体を同化することらしい。そういうわけでスカブコーラルは周囲の生命体を同一化しながら少しずつ成長し、ついには地球全体を同一化し尽くしてしまう。人類はそこから逃れるために地球を脱出してしまっていた。
地球全体を覆いつくしたとき、スカブコーラルは初めて自分が孤独であること、もはや同一化すべき他者が存在しないことに気付いたのだという。そして一万年ぶりに地球にもどってきた人類を深い思慕の情で迎え入れるのだが、やはりその表現方法は同一化しかないことには変わりない。で、主人公の愛する少女、エウレカはそのスカブコーラルの一部分であるコーラリアンと呼ばれる種類の生命体ということらしい。
ところが以前も書いたようにこの『エウレカセブン』の脚本は、ほとんど少年レントンが少女エウレカに出会ったときから一貫して彼女を愛しているという設定で、視聴者は毎回この二人ののろけ具合を見せられるという、緊張感のかけらもない展開なのだ。
スカブコーラルにとって人類が本当の意味で「他者」であるなら、人間であるレントンとコーラリアンであるエウレカの間には、乗り越えることができない断絶が延々と描かれてしかるべきである。ところが物語の冒頭からすでにレントンはエウレカを守るために戦うと宣言し、物語の最後でスカブコーラルを守るために戦うという結末が見えてしまっている。
非常にまずい脚本である。これでは1年間放送しても泣かず飛ばずなのは当たり前。14歳のレントンは同年代の少年が感情移入するには大人びすぎているし、エウレカの母性表現は保守的すぎて、十代の少女には感情移入できないだろうし、大人が見るには上述のように脚本のできが悪すぎる。
また、敵軍の少年ドミニクとレントンのからみがほとんどないので、「やおい」系の「腐女子」の皆さん(=少年の同性愛描写が好きな皆さん)をひきつける要素がないし、エウレカや、敵軍の少女アネモネは綾波レイと違って胸が全くないので(下品な話で申し訳ない)、ヲタクの皆さんをひきつける「萌え」要素もない。
LFOと呼ばれるロボットどうしの戦闘シーンも少ないので、メカニックおたくや軍事おたくの皆さんをひきつける要素もない。これでは1年間引っ張っても周辺ビジネスも含めてヒットする要因がどこにもない。
最近のロボットモノでは、そういう意味で「やおい」系ファンに意識的に的を絞った『ガンダムSEED Destiny』の方がビジネスとして成功するのは当然といえば当然だ。