ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/06/21-08/26)

■(ナターシャ・サン=ピエール経歴つづき)
参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER
―2001/06/21 今晩20:50、テレビ局「フランス2」のミシェル・ドリュッカー、ジュリー・スニダー司会による番組『レッド・カーペット』が音楽祭について放送。ナターシャは『Je n’ai que mon âme』を歌った。
―2001/06/27 『スタークラブ』誌2001年7月号の記事。『ナターシャ・サン=ピエール、私は決して泣かない』
「彼女は上位5位に入った。賭けに勝ったのだ!先日、5月21日のユーロビジョン・コンクールで第4位に入賞したナターシャ・サン=ピエールはカナダ出身で、フランス代表として目覚しい活躍をした。それでも人々は彼女に『ノートルダム・ド・パリ』英国公演でのフルール・ド・リ役としての輝かしい演技を期待していた。
私はカナダ南東部、米国国境近くのバトゥルストで、1981年2月10日に生まれました。結婚も、婚約もしていません。
16歳のジョナサンという弟がいます。私のことを誇りにしてくれていますが、私も弟のことを誇りに思っています。私たちの国ではホッケーの名選手ですから。
パパは刑務所の所長で、母はある種の病院の看護師長をやっています。基本的に母は看護師ですが、今はもう看護の仕事はしていないんです。ただ監督をしているだけです。私は今モントリオールに住んでいます。
歌のほかには映画、読書、友だちが好きです。友だちとはあまり会えませんけど。自由な時間があるときは、できるかぎり友だちと過ごしたいですね。
勉強の面では、理系の大学入学資格試験に合格しました。大学の生物学科に入るはずでしたが、ちょうどそのときに『ノートルダム・ド・パリ』の公園が始まったんです。生物学の勉強がしたいのか、研究所で研究をしたいのか、よくわかりませんでした。でも基本的に大学で4年間生物学を勉強して、それから先生になるために5年目も勉強するか、そのまま研究室に行くつもりにしていました。
夏は、海水浴や水泳、足こぎボート、水上スキーをします。冬は、ウォーキング、ジョギングや、むしろ室内スポーツをしますね。寒いのがちょっと嫌なので。
私はとても物静かで、とても内向的なタイプです。感情を表現しにくい性格です。日常生活を語るならそれでもいいのですが、感情を表現するには、たとえば誰かが私を苦しませたとしても、それを言うことに困難を感じます。私は決して泣かないです。一人きりのときでもです。何かとっても悲しいことが起こっても、泣くことはできません。泣くことについて一種の難しさがあるんですが、決して教育のせいではないんです。私の家ではタブーの話題というのがないので。ただ、私は快活ですし、ほとんどの場合、とてもまじめです。まじめというよりも、メリハリがある感じかしら。仕事をするときは仕事をするし、遊ぶときは遊ぶ。それぞれの物事にはそれぞれの時間があって、そんなふうに私は生活してます。とっても合理的なんですね。
私の両親は26年か27年前に結婚しました。だから当然私も結婚すると思っています。結婚は可能だと思ってますよ。たしかに私たちの社会では結婚することはだんだんと難しくなっていますけど、いつか一生を過ごすような男性と出会えると願っています。でもそんな男性に出会うまで、当然、ちょっと恋愛関係にはなれないような、いろんな人たちに出会うでしょうね。でもいつかは子供を持ちたいと思うような(子供は2人欲しいです)、そして一緒に年を重ねたいと思うような男性と出会えると期待してます。
正直な男性がタイプです。自分に正直であることを怖がらない人です。だから場合にもよるでしょうし、その人にもよるでしょうね。人はそれぞれいろんな長所と短所が混じっていて、それでその人独特の個性が生まれているわけですから。その混じり具合が良く出るときもあるでしょうし、悪く出るときもあるでしょうし。おいしいチョコレート菓子もあれば、おいしくないのもある。それは、中に何を入れるかによるってことね。
食べることは大好きです。でも実際には日によりますね。朝食はたくさん食べるほうではありません。でも15時以降はとってもおなかがすきます。肉は好きではありません。マッシュポテト、チョコレートが大好きで、ひどい虫歯が一本あります。ピーナツバターも大好き。ピーナツバターをぬったバナナがおいしいんです。
着心地のいい洋服が好きです。だからジーンズが強烈に好き。冬は大きなセーターを着るのが好きですね。着心地がいいし、すごくかわいいのがありますから。靴もすごく好きです。いちばんよく買うのが靴かしら。
今は実家から車で8時間くらいのケベック州に住んでいます。実家に住んでいたときはいつも犬か猫を飼っていました。でも家を空けるときは家に置いて行っていました。今住んでいる部屋にはサボテンしかありません。あまり世話をしなくてもいいですから。1か月に一度水をあげるだけでいいですからね。
学校で音楽の先生が舞台に立つように勧めてくれたのは8歳のときでした。そこでは生で歌ったんです。それ以来、何度も舞台に立つようになって、だんだんと私の歌が知られるようになりました。14歳のときに2人の方から契約のお話があって、15歳でファースト・アルバム『Emergence(出現)』を録音しました。」
―2001/07/06 ナターシャはCDシングル『L’un avec l’autre』の録音に参加。2001年7月にカナダで開催されるJeux de la Francophonie(訳注:フランス語圏の祭典=オリンピックの翌年4年に一度開催され、3,000人のフランス語圏の若者が一堂に会する唯一の祭典。2001年は第4回大会で、カナダとレバノンの共同開催。51か国から3,000人が参加。スポーツ分野では陸上競技、バスケットボール、ボクシング、サッカー、柔道、卓球、ビーチバレーが行われ、芸術分野では歌、演劇、ダンス、文学(詩)、絵画、写真、彫刻の展示が行われた)にあわせて発売される。
―2001/07/08 リュック・プラマンドンに捧げる大フランス祭 7月7日、オタワで『フランス語圏、プラマンドンを歌う』という公演が大フランス祭の一プログラムとして行われた。一時間半以上にわたり、イザベル・ブーレイ、ブルーノ・ペレティエ、ナターシャ・サン=ピエールなど、多くのアーティストがケベック人作詞家リュック・プラマンドンの美しい歌を歌った。数千人の観客が国会のある丘の上に集まってこの公演に参加した。
―2001/07/11 ナターシャはフランスの最優秀ゴールドディスク賞を受賞した。『Je n’ai que mon âme』がシングル売上チャートで第2位を獲得。
「ナターシャ・サン=ピエール:フランス最優秀ゴールドディスク賞受賞
フランスの人々はセリーヌ・ディオンのせいでナターシャ・サン=ピエールに惚れ込んだのか?ケベック出身のこの女性歌手はたしかに若々しい美貌を持ち、自信にあふれているが、ナターシャが私たちの心と耳を魅了したのはやはりその澄み切った声のせいだろう。その声はセリーヌの声を思い起こさせるのだ!
(中略)
ナターシャが成功したのは2001年のフランスデビュー以来、懸命に仕事をしてきたおかげだろう。高視聴率のテレビ番組に何度も出演し、いま人気絶頂のガルーのコンサートの前座をつとめ、フランスの主要都市をプロモーション・ツアーで回り、その成功を確固たるものにした。アルバム『A chacun son histoire』をソニー・ミュージックから発売するとやはりヒットし、フランスとベルギーの売上チャートに悠々と浮上した。
ケベックではシングルというものが存在しないので、ニューアルバムが店で売り出されたところだ。この弱冠20歳の歌手のファンはフランス語版と英語版の『Je n’ai que mon âme』を見つけて満足している(中略)。
ナターシャは7月から8月にかけてヨーロッパに滞在する。秋にはとても忙しくなるだろう。しかしそれもまた私たちが時宜を得て出会う、美しいサクセス・ストーリーではないだろうか。」
―2001/07/16 ナターシャは2001/09/12から12/01まで行われるガルーのワールド・ツアーの前座として参加することが決定した。
―2001/07/25 第4回フランス語圏の祭典が昨夜終わった。歌のパフォーマンスは閉会式のときに一回だけ行われた。ナターシャ・サン=ピエールとマリオ・ペルシャはこの祭典のためにリュック・プラマンドンが作詞した『L’un aven l’autre』を歌った。約40人のダンサーと800人のエキストラも参加した。
―2001/08/14 ベルギーの人々もナターシャが好きなようだ。彼女のシングル『Je n’ai que mon âme』はベルギーで35,000枚を売り上げ、ゴールド・ディスクとなった。
―2001/08/26 『Paris Match』誌の表紙に登場。そしてパスカル・オビスポとの競演。ナターシャは既に真のヨーロッパのスターになった。先日『Paris Match』誌の表紙に登場し、パスカル・オビスポは2002年春発売予定の次のアルバムでナターシャと競演することになった。
また、ナターシャは服装と髪型を新しくして、快活な性格ときらめくような若々しい美貌にぴったりの、もっと快活な雰囲気になった。『Le Soleil(太陽)』誌の2001/08/21付けの記事にナターシャは新しいルックスで登場している。
「ナターシャ・サン=ピエールはいつもファッションを気にしていると言えばそれはウソになる。『以前は何が流行か、何が流行でないかには、関心がありませんでした。ショッピングに行くのは大好きですが、流行よりも着心地のいい服を探していました。一年前から、とくにこの仕事をしているせいで、服に気をつかわなきゃいけなくなったんです。そんなことに興味を持つなんて、自分でも驚きなんですよ」と彼女は語る。幼い頃はむしろ男の子っぽい服装をしていたという。
『小さな頃は、母親が私にきれいな洋服を着せたがったんですが、4歳のころパンツとスニーカーしかはかないって決めたんです。別に誰かが私の髪をとかすわけでもないので、髪も短くしていました』。おてんばだった彼女は木で小屋を作り、サイクリングをし、彼女にけんかをしかけて来た男の子の鼻をへし折った。
『基本的に私は今風のファッションが好きな、よくいる女の子なんです。変なかっこうはしませんが、今は前よりも少しだけ思い切ったファッションをしています。両方を混ぜた感じにしようとしてるんです』。彼女はファッションの趣味はパリに何度も滞在するうちに身についたと告白した。パリで、パコ・ラバンヌ、ジャン・シャルル・ド・キャステルバルジャック、ランヴァン、ジャンポール・ゴルティエ、ロリータ・レンピカなどなどの洋服を着るようになったということだ。ロリータ・レンピカは彼女がユーロビジョンに出演したときの衣装である。」