エヴァの萌芽としての『トップをねらえ!』

■先日『トップをねらえ!』の第1話、第2話について、GAINAXの歴史を知るためのお勉強としてのみ鑑賞に値すると書いたところ、以前『少女革命ウテナ』劇場版を推薦して頂いた読者の方から即座にメールが届いた。『トップをねらえ!』は第5話、第6話で「化ける」のでぜひ観てほしいという内容だ。この庵野監督作品がカルト的人気を誇るのも、ラストの2話によるものであるとのこと。それでは、ということで残りの第3話から最終話の第6話までをDVDで観てみた。
まいった。
まいった、としか言いようがない完成度だ。『新世紀エヴァンゲリオン』のような作品は、庵野監督から生まれるべくして生まれたのだということが理解できた。
まず脚本については、光速に近い速度で宇宙旅行することによって地球上と時間の経過に差が生じるという、アインシュタインの相対性理論の「浦島効果」をモチーフに、非常にドラマティックな展開を生み出している。最終話、主人公のノリコが地球の表面に見出した光のサインを目にしたとき、思わずこちらも涙を落としそうになってしまう。このラストシーンを見るだけでも、『トップをねらえ!』のDVD3枚を観る価値はある。
そして演出だが、9年間前『新世紀エヴァンゲリオン』を観たとき、僕はエレベータの中でのシンジとアスカの長い沈黙のシーンについて書いた。『トップをねらえ!』の最終話についても同じように演出技術の巧妙さについて書くことができる。
最終話がいきなりモノクロで始まり、ラスト近くまで一貫してモノクロで描かれる。形式こそが脚本に書かれた物語のカタルシスを保証するものであることを、『新世紀エヴァンゲリオン』の10年近く前にすでに庵野監督は表現してしまっていたのだ。と言うより、『新世紀エヴァンゲリオン』の技法や着想のすべてが、すでに『トップをねらえ!』に存在していたと言っても言い過ぎではない。
数十億体におよぶグロテスクな宇宙生物の銀河系への襲来という、通常の想像力を超えた物理的なスケールは、『アルマゲドン』などのB級ハリウッド映画の着想を軽く凌駕している。『新世紀エヴァンゲリオン』では空間的な拡大が行き着くところまで行き着き、ちょうどクラインの壷のように裏返って、少年、少女たちの心理的な内面に還ってきたというべきではないか。
『新世紀エヴァンゲリオン』における使徒や、巨大な綾波レイの上半身や、地球の最後は、『トップをねらえ!』におけるように地球の「外部」から襲ってくる存在ではもはやなく、登場人物たちのいわば心象風景のようなものと化している。『トップをねらえ!』では依然として明確な、地球とそれ以外という二項対立、人類を守るものたちと、人類を脅かすものたちという二項対立は、その最終話で「裏返し」になる極限まですでに行き着いてしまっていたのだ。
『少女革命ウテナ』同様、『トップをねらえ!』も最初の3分の1の部分はアニメ嫌いにとって少々つらいものがあるが、そこを過ぎるととんでもない表現が展開される。やはり日本が世界に誇るサブカルチャーをあなどってはいけない。