ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23-05/23)

■お気づきのようにNatasha St-Pierのカタカナ表記を「ナターシャ・サン=ピエ」から「ナターシャ・サン=ピエール」に変更させて頂いた。動詞の不定詞でない限り通常フランス語の末尾の「r」は発音される。ただ、弱く発音されるのでカタカナで「ピエール」と表記してしまうと St.Pierre(聖ペテロ)のように聞こえるので「サン=ピエ」と表記していたが、今日、近所の新星堂で彼女のセカンドアルバムの日本発売盤を見つけ、「ピエール」と表記されていたのでそれにならうことにした。
いい加減飽きてきたという読者の方々は「ナターシャ・サン=ピエール」カテゴリーの記事は読み飛ばして頂いて構わない。単に個人的に日本で唯一のナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)のファンサイトを目指しているだけなので。
(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)
参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER
―2001/05/23 ナターシャに関する記事をいくつか。
『Télé 7 jours(テレビ1週間)』より
「ナターシャ・サン=ピエール セリーヌ・ディオンの弟子
注目、一人のスターが人気を拡大しつつある。ナターシャ・サン=ピエール20歳は、プラマンドンのスターの中の新星だ。ケベックと英国の観客は去年この青い瞳のカナダ女性がミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役になったのをを発見した。ジュリー・ゼナティの代役である。最近彼女が一段ステップアップしたのは、ユーロビジョン・コンクールへの出場だ。デンマークのコペンハーゲンで2001/05/12にフランスを代表して歌った。(中略)
大部分が英語を話すカナダの極東の土地ヌーボー・ブランシュヴィックに生まれ、ナターシャはフランス語にこだわりをもつ。『英語で歌手としてキャリアを積めるかどうかなんて、一度も考えたことがないわ。両親もフランス語を話していて、母の先祖はアカディア、父はイタリアなの。最初に歌った歌はモリエールの言葉で書いた歌だし、最初に契約したのもフランス語を話す人よ。でも、いつかまた別の目標を達成したくなったら、英語でも歌うでしょうね』
ナターシャのキャリアはとても早くから始まった。『8歳で音楽の先生が舞台に出ることを進めてくれたの。そこでエルザ(訳注:フランスの女性歌手)の『Mon cadeau(わたしの贈り物)』という歌を歌ったわ。そこから毎年の夜の公演にひっきりなしに招待されるようになったの。私のバンドと一緒に出演して歌っていたわ』
私的な公演はもはやその成功を隠していることもできなくなり、14歳でファースト・アルバムを録音する。そして大当り!しかし彼女の所属した2つの事務所間の係争のために、1年半の活動停止を余儀なくされる。最後にはケベックで非常に有名なプロデューサー、ギィ・クロティエが彼女との契約を勝ちとり、リュック・プラマンドンに『ノートルダム・ド・パリ』に出演させるよう、彼女を紹介。そして彼女の名が知られるようになった。ニューアルバム『A chacun son histoire』はピエロ・カッサーノとイタリアで制作され、売上好調だ。次のステージはオランピア劇場に決定している。ガルーのコンサートの6回目の前座をつとめるのだ。
この力強く澄み切った声をもつ少女の新しいキャリアの始まりを、ある人々はセリーヌ・ディオンと比較する・・・しかし、それはまた別の話だ」
『Télé Club Plus(テレビクラブ・プラス)』よりインタビュー記事
たった20歳なのに、新人っぽいところが全くないね...
8歳で、母が私に歌を教え込んだの。突然舞台に立って歌っていたって感じ。私の番が来て、歌い始めたの。そしたらスタンディング・オベーション。だって、みんな帰っちゃうだろうって思ってたのよ。それでおしまいじゃなかった。12歳でケベック州の「歌の力」っていうコンクールに出場して名前を知ってもらうようになって、少しずつ歌う機会が増えていったわ。14歳でファースト・アルバム『Emergence』を録音して、チャートで1位をとったの。
ケベック出身じゃなかったっけ?
ちがうわ。もっとフランス語の強いヌーボー・ブランシュヴィック出身よ。私の家族は外では英語、家ではフランス語を話してるの。
だから『ノートルダム・ド・パリ』では英語で歌えたんだ
ええ、その通り。でも最初はフランス語で「フルール・ド・リ」役をやってた。新しいチームを結成するためのオーディションを受けて、一週間後にジュリー・ゼナッティがフランスに帰らなきゃいけなくなったの。エレーヌは病気だったし、二役をやる代役が一人しかいなかったから、私がフルール・ド・リ役をすることになった。それまでそのミュージカルはたった一度しか見たことがなかったのよ。パトリック・フィオリが私に午後と夜の二度リハーサルをさせて、舞台に立ったの。そこから2か月、フランスのチームと『ノートル・ダム』に出演して、ケベックのチームでもフルール・ド・リを演じることになったの。ツアーが終わってアルバムを作った後、ロンドンに出発した。フランス語ではかわいくて優しい女の子だって言うのに、英語では意地悪でセクシーって言うのね。みんな嫌いだって言っても、私は私に満足よ!
アルバムではとっても落ち着いた感じだよね。もっと年上の女性みたいな...
たぶん同じ年の友だちが多くないからかも。普通の人が2年、3年で生きるところを、私は2か月、3か月で生きてるって感じなの。面白くて話上手な人と話していると、私の実年齢をなかなか信じてもらえないのよ。
どんなタイプの恋愛をするの?
ロマンティックで情熱的!前は子供なんて欲しくないと思ってた。だって両親がどんなリズムで生活してたか見てるから。今は、いつかは欲しいなって思う。でも当分は恋愛はしない。家庭を持ちたいと思わせてくれるような人とまだ出会ってないから。
どんな男性が好き?
正直言って、今のところ2人としか付き合ったことがないの。私の仕事を理解してくれる人がいいんだけど。愛情を示してくれるけど、束縛しないような人。私ってかなり独り占めしたい方なの。だから、けっこうわがまま。本当に愛してるってことを証明してほしいの。
ガルーの前座をやってるけど、大変だった?
『ノートルダム』の舞台裏で、彼は私をリラックスさせてくれたの。ロンドンでも守ってくれたし。お兄さんみたいな存在ね。お兄さんと友だちの中間くらいかな。本当のお兄さんだったら、親が同じだから全部話すわけにはいかないでしょ。友だちだったら、お兄さんほど信用できないから、やっぱり全部話すわけにはいかない。ガルーは、両方が混じった感じなの。お兄さんのようにすべてを話すことができるけれど、私の両親にいちいち報告したりしないし。二人でいると楽しいしね!それにフランスの人たちとたくさん会えるし。ガルーはどれだけ私を助けてくれてるか、自分では気づいていないけど...」