ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/17-05/21)

■ついにこの「愛と苦悩の日記」がキーワード「ナターシャ・サン=ピエール」でYahoo!JAPAN検索のトップに躍り出た。って、こんなマイナーなキーワードであっさりSEOが成功するのは当たり前。「ナターシャ・サン=ピエール」なんてキーワードで検索する日本人なんて一人もいない。
(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)
参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER
―2001/05/17 盗作の訴え:『Je n’ai que mon âme』が議論の的になっている。というのはベルギーの女性歌手シャンタル・エデンが、数年前に作曲した自分の歌『La vigne de mon père(私の父のぶどう)』とメロディーが非常によく似ていると主張。
―2001/05/18 ナターシャがフランスのセールスチャート入り!ナターシャのアルバムが今週フランスのセールスチャートで37位にランクイン。約10万枚が売れた。そしてシングル『Je n’ai que mon âme』は8位に!
―2001/05/20 ベルギーでは『Je n’ai que mon âme』がフランス語シングルの2位に!ナターシャのアルバムとシングルはフランスのセールスチャートのランクではそれほど良くないが、フランスのテレビ局はナターシャの広告を流している。
―2001/05/21 「(www.dhnet.beの記事より)コンクールの後、ユーロビジョンの参加者たちは暗色の服装と長いドレスを着て盛大で粋なレセプションに参加する。アフター・パーティーと呼ばれるこのレセプションに、ナターシャ・サン=ピエールはほとんどいなかった。彼女はいちばんに会場を後にしてホテルに帰った。たぶん第4位という成績に少しがっかりしていたのだろう。もっと上位を期待していたのに。この若いケベック女性はフランス代表としてコペンハーゲンに出発したが、確かにその活躍を恥じる必要はない。彼女は最下位に甘んじるかもしれなかったのだ。デンマークのテレビカメラの前に、しかも、パルケン競技場の38,00人の観客を前にして、コーラスもダンサーもなしで、ひとりで立ち向かうことを選択したアーティストは、彼女ただ一人だったのだ。あの巨大な空間の中で、彼女はとても小さく見えた。それにもかかわらず、彼女は人々が見守る中、素晴らしい歌唱を見せた。満員の観客たちは言うまでもなく、テレビでも彼女はいつも美しいイメージを見せる。とくにこの会場では座席が四角く配置されていた。ライティングの束が天井から降りてきて、すべてが妖精のように見えた。ナターシャは女王のように歌った。確実にこの2001年のユーロビジョンの中では最も素晴らしい声だった。
逆におそらく選曲が悔やまれるだろう。アルバムのうち、彼女の本当の個性を引き出す曲とは程遠い曲が選ばれてしまった。『Je n’ai que mon âme』は彼女の将来の名声を築くためのシングルだ。もっとセリーヌ・ディオン風の曲に賭けた方が良かったのではないか。そしてユーロビジョンの最近の傾向、とくに何でもかんでも英語に頼る傾向(ドイツやフランスまでがそんな傾向になっている)のことを考えると、セリーヌ・ディオン風の曲というのは一つの大きな特徴になる。新しいものを求めるよりむしろ、前例を踏襲せよということだ。
それは1999年のシャルロット・ニールセンのヒット曲のケースに既に現れている。あの曲はアバの時代を思い出させる。去年はオルセン・ブラザーズが完全にサイモン&ガーファンクル風のスタイルを採用していた。ここからメッセージが読み取れる。みんな分かっていることなのだ。スウェーデンの人々はアバに賭けていたし、再びアバ風の曲に賭けている。リトアニアはリタ・ミツコの曲をとてもよく研究していた。ロシアは去年第3位だったラトビアの曲を単純に焼きなおす考えだったようだ。ファッションさえも同じだ。優勝者のタネル・パダール&デイヴ・ベントンでさえも(ユーロビジョンでグランプリをとった『Everybody』という曲を歌った)、ヴィレッジ・ピープル風であることを否定できない。
しかし、なんというサスペンスだろうか。4つもの国(ラトビア、デンマーク、ギリシア、フランス)が他の国をリードした。長い間、誰もがチャンスを信じていた。この4か国のうち一つが突然他の国を引き離すと、次の審査員はその国には投票せず、またグループに引きもどした。最後の3人の審査員のときは、エストニアとデンマークがたった1点だけ引き離していた。しかしマルタ島とギリシアの票は主催国であるデンマークのチャンスを奪った。ラトビアは、旧ソビエト連邦の国というよりは、白人と黒人のデュオで、アメリカ風のイメージに結びつけたおかげで優勝した。デイヴ・ベントンはカリブ諸島生まれで、プロのドラマーになり、トム・ジョーンズ、ビリー・オーシャン、ジョゼ・フェリッチアーノなどのバックミュージシャンをしていた。彼がエストニアに住むようになったのは、タネル・パダールと出会ったためで、これがデュオ結成のきっかけになった。ナターシャ・サン=ピエールがカナダからユーロビジョンに出演したように、デイヴ・ベントンはカリブ諸島から出演した。
エストニアがユーロビジョンで幸運を勝ち得ても不思議ではない。エストニアは1994年に初めて参加した。7回の参加のうち、エストニアは上位5位以内に4回選ばれている。したがって来年は、バルト海をはさんでデンマークと反対側にある、エストニアの首都・タリンでユーロビジョンが開催される」