モダンな『十二国記』とポストモダンな『エルハザード』

■前回につづいて清濁併せ呑む覚悟でのアニメーション鑑賞記である。今回はなぜか『神秘の世界エルハザード』(OVA版)とアニメ版『十二国記』の2本。意図的に類似した作品を借りてきたわけではなく、結果的に似たような設定の作品を2本つづけて見ることになった。
この2作に共通した設定とは、ごくふつうの高校生がある日突然、同級生とともに何の脈絡もなくどこか知らない世界に連れ去られてしまい、主人公がその世界で非常に高貴な身分の人物であることになってしまう、という内容である。
結論から言えば、僕としては物語構造の面白さの点で、断然『神秘の世界エルハザード』の方に軍配をあげたい。
アニメ版『十二国記』は言うまでもなく小野不由美の長編ファンタジー小説が原作のNHK制作のアニメーションだ。主人公はいわゆる優等生タイプで、実は周囲の同級生からあまり快く思われていないという女子高生の中嶋優子。彼女がある日突然、異界からの使者である景麒に連れ去られるという物語。
小野不由美の原作は、いたって真面目にこの十二の国からなる中国風の道具立ての異界を描くのだが、今さらここまで真面目にオリエンタル趣味のファンタジーをやられたのでは、受容者としてはほとんど笑うしかないという感じになってしまう。
十二国とは、四大国の慶東国、範西国、奏南国、柳北国と、四州国の雁州国、才州国、巧州国、恭州国、四極国の戴極国、漣極国、舜極国、芳極国からなり、蝕が起こって海客がやってくると災難が続くとか、この手の独特の作品世界を大真面目で「構築」されてしまうと、どうもご苦労様としか言いようがなくなってしまうのだ。
まさにいま「構築」という言葉を使ったように、僕らが生きている世界と同じような社会的複雑さや制度的な緻密さをもった世界を、一生懸命、真面目にもう一つ作り上げたところで、それが文学として、フィクションとして、文学でなければ描けないもの、フィクションでなければ表現できないものを表現したことになるだろうか。そこにできあがるのは単に、僕らが生きているこの世界の、質の悪いコピーでしかない。そんなことに想像力を使って創作家として意味があるとは、残念ながら僕には思えない。
それに対して『神秘の世界エルハザード』の方では、関西弁で美男子の高校生、水原誠がエルハザードという名前の異界に飛ばされてしまう(こちらは中国風ではなくアラブ風の舞台装置)。そして、エルハザードのロシュタリアという王国の王女ヴェーナスの妹ファトラにそっくりであるという理由から、ファトラになりすますよう強要されるという展開になる。
ここですでに男子高校生が無理やり王女の妹の身代わりにされてしまうという、トランスジェンダーの「ひねり」が加えられている。この点だけでも『十二国記』より物語として出来がいい。しかもこの妹ファトラには愛人の少女アレーレがいるという、少女同性愛の話にもなっているという破綻ぶりである。
そして十二国での中嶋優子や、その同級生で、異界では優子と対立することになる杉本優香が、クソ真面目に戦い、苦悩するのに対し、エルハザードでの水原誠や、その同級生で、エルハザードでは誠と対立することになる陣内克彦、そして教師である藤沢真理(まさみち)は、いたってお気楽で能天気に、あるいはとんでもない自己陶酔の醜態をさらしつつ、ドタバタの対決劇を演じる。
十二国記の登場人物はそれぞれ真面目に悩み、真面目に生活し、真面目に戦って、徹底して自己同一性(自分であること)を追求し、目的論的・終末論的で、きわめて「近代的」な生き方をするのに対して、『エルハザード』の登場人物は真面目すぎて滑稽で、自己同一性を追求しすぎてつねに自分自身からズレていて、現代を生きる僕らに近い、きわめて「ポストモダン」な振舞いかたをする。
十二国記のようなガチガチでモダンな(語の正しい意味での)教養小説風ファンタジーか、『神秘の世界エルハザード』のような差異と戯れのポストモダンなスラップスティック・ファンタジーか、どちらをとるかは好きずきだけれど、どちらがより創造的かといえば、やはり『神秘の世界エルハザード』であることに間違いはない。