絲山秋子『沖で待つ』

■文藝春秋の最新号を買って、芥川賞受賞作の絲山秋子『沖で待つ』を読んだ。彼女の他の作品を読んでみないと分からないのだが、この作品に限定して書くとしても、選考委員の何人かが、女性総合職の観点からの会社員の仕事の描写に、純文学の新しい可能性を見出している点に驚きを感じた。
河野多恵子は「女性総合職の<私>と同期入社で非常に気の合う<太っちゃん>との同僚づきあいを描いて、言いがたい魅力がある。彼等の職業の織り込まれ方の見事さには感心した」と書いている。黒井千次は「女性総合職の出現によって女と男の対等に働く場が生まれた。それは新しい現実である。その新しさがいかなる意味を持ち、どのような可能性を人間にもたらしたかを追求したのが本作であるといえよう。」と書いている。
このような評を読むと、高杉良をはじめとする、会社員の職業を描写している既存の小説化が、小説家としていかに「当たり前のこと」をしてこなかったかがよく分かる。
絲山秋子の『沖で待つ』の登場をもって初めて、会社員というものの職業描写が、NHKの『プロジェクトX』的な(そして多くのサラリーマンを主人公とする劇ががそうであるような)誇張された英雄主義や、逆に、「組織人の自虐」とでも言うべきネガティブな描写から解放されたということは、これまでの日本の純文学が、ありふれた現実としての会社員の仕事を、ありふれた現実として描写することにいかに怠慢であったかが分かる。
もちろん『沖で待つ』の正当な評価は、山田詠美の選評のように「友人でもなく、恋人でもなく、同僚。その関係に横たわる茫漠とした空気を正確に描くことに成功している」点にあり、同じく池澤夏樹が評するように「この作の要点は恋愛ではない女と男の仲である」。そして会社員の職業描写は、「この二人の仲を描くのに力あったのは彼らの職場の生き生きとした記述」(池澤夏樹)である限りで評価されるべきものだ。
河野多恵子や黒井千次のような評は、僕のように純文学を愛読する会社員が「奇特」になってしまうほど、日本の現代文学がほとんどの「会社員」と呼ばれる人たちから見捨てられている現実の反映でしかない。
ところで僕自身の感想だが、始めと終わりの純文学らしいファンタジー性と、中間部分の非常に現実的な会社員の職業描写が、同一の簡素な一人称独白体にさりげなく納まって違和感が無いのは、心理面のミニマルな描写と、「死生観」といったいかにもブンガク的なテーマを無理なく並列させている点とあいまって、やはり絲山秋子という人の才能なのだろうと感じた。

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  1. my daily life

    「沖で待つ」を読んだ

    このたびの芥川賞作品を読んだ。
    以前、このblogでも書いた、あの作品だ。
    「文藝春秋」に掲載されていると言う新聞広告を見て、急いで買ってきた。
    思ったより短い作品だったのですぐに読み終えた。
    とても共感できた。
    どんなに親しい、家族とか、恋人や友人にも分からないもの。
    現場にいた人間にしか分からないもの。
    苦楽をともにした会社の同期。
    この作品では、それが「女と男」だということだ。

  2. 複数恋愛進行中

    BOOK * 『沖で待つ 』

    絲山 秋子
    沖で待つ
    なにげない風景が愛おしくなる。
    ?
    たとえば新入社員の「私」が福岡勤務の辞令を受けて初めて現地をふんだとき、
    初々しさよりも見知らぬ土地への不安が少し上回っている。
    同期の「太っちゃん」と同じ思いを抱えながら町へ繰り出す。…