ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/04/21-04/30)

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)
参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER
―2001/04/21 フランスのテレビ局フランス2のティエリー・アルディソン司会の番組『Tout le monde en parle(みんなのウワサ)』(TV5でも再放送中)に出演。ナターシャはリラックスして微笑みながら登場。はっきりしない質問もあったが、ナターシャはくつろいだ雰囲気で答えていた。(当然のことながら)「初体験インタビュー」を受けることになった。初めての思い出は、従姉妹のベッドの上で飛び跳ねていたとき背中をケガしたときのこと。初めてのショックな出来事は、4歳のとき電気のコンセントに鍵を差し込んでしまって感電したときのこと。初めて悪いことをしたのは、ウソをついたこと。でも両親からビンタされるようなことは決してなかったとか。初めてあこがれたアイドルはセリーヌ・ディオン。そしてインタビューの中で、15歳のときは波乱に満ちた一年間だったこと、彼女はタバコをすわないこと、などが分かった。ちなみにタバコを吸わないことを、アラン・ド・ラ・モランデ氏はしきりに褒めていた(パリ在住の作家・評論家・映画監督らしい。アラン・ド・ラ・モランデ Alain de La Morandais のブログはこちら)。最後に彼女が初めて身につける最も美しい洋服は、今度の5月12日、ユーロビジョンでの衣装になるだろう。
―2001/04/24 フランスのテレビ局TF1のクリストフ・ドシャヴァンヌ司会の番組『Ciel mon mardi!(うれしい!私の火曜日)』に出演。『Je n’ai que mon âme』の一部を歌った。マルク=オリビエ・フォジェルとともに5月12日、フランス3のユーロビジョン中継で司会をつとめるディヴが見守る中、いくつかの質問に答えた。
―2001/04/28 ミシェル・ドリュッカー司会の『Tapis Rouge Spécial Séductrices(レッド・カーペット~魅惑の美女スペシャル)』に出演。『Je n’ai que mon â』を歌い、司会のミシェルと数分間おしゃべり。ミシェルは彼の選んだ曲を歌ってほしいと提案。その曲はダニエル・バラヴォワンヌの『Tous les cris des S.O.S(SOSと叫ぶ声)』。
―2001/04/29 TV5の『L’invité(招待席)』に出演。
―2001/04/30 雑誌『7 jours(1週間)』に「インターネットのナターシャ・サン=ピエール」という記事掲載。
「インターネットのナターシャ・サン=ピエール
『Je n’ai que mon âme』という曲はナターシャ・サン=ピエールが来月5月、デンマーク、コペンハーゲンで開催される第46回ユーロビジョン・コンクールで歌うことになっている曲だが、アルバム『À chacun son histoire』のフランス版に収録されている。しかしケベックで発売されている版には未収録だ。そういうわけでケベック州のナターシャ・ファンはこの秋に次のアルバムが発売されるまで待たなければならない。しかし待ちきれないなら、Webサイト www.eurosong.net でこの曲をダウンロードできる。1988年にセリーヌ・ディオンがスイス代表としてユーロビジョン・コンクールに参加し、優勝したときのことを思い出してみれば、当時フランス代表のララ・ファビアンは第3位に終わった。そのほかの歌手たちも、ユーロビジョン・コンクールに出演することで、国際的な舞台で有名になっている。特にスウェーデンのABBA(アバ)や、ジュリオ・イグレシアス、ナナ・ムスクーリ、フランス・ギャル、オリヴィア・ニュートンジョンなどが有名な例だろう」
―2001/04/30 ケベックで発売されている雑誌『Echos Vedettes(女性スターのうわさ話)』と『7 jours(1週間)』に新しいナターシャに関する記事が掲載。
「名声を確立したナターシャ・サン=ピエール
『幕が開いたとき、ホール中に私の名前の横断幕があったの。そしてみんなが「ナターシャ!ナターシャ!」と叫んでくれた。本当に感動したわ。』
セリーヌ・ディオン以来、カナダ人の女性スターが多国語で出版されている『Oh La!』誌の巻頭を飾ることはほとんどなかった。同誌がセリーヌの赤ん坊、ルネ=シャルルをケベック州に初めて紹介して大成功を収めたように、今度は発行部数を増やしてケベック州の読者たちに巻頭で女性スターたちを紹介した。ナターシャ・サン=ピエールは同誌のケベック版の第一面に選ばれたが、20歳の若い女性歌手にとってまさに素晴らしい出来事だった。
私たちはリヨンで数時間後に舞台を控えていたナターシャに直接インタビューすることができた。フランスでガルーのコンサートの前座をつとめて以来(すでに20回以上に及ぶ)、彼女は観客の反応に感動している。『コンサートが始まる前、いつもホールの観客はガルーの名前を叫んでいるの。でもブザンソン公演で、とても特別なことが起こったわ。舞台袖にいたとき、みんなが私の名前を叫ぶのが聞こえてくるの。幕が開いたとき、ホール中に私の名前の横断幕があったの。そしてみんなが「ナターシャ!ナターシャ!」と叫んでくれた。本当に感動したわ。』
すべてがつながっている
ナターシャがユーロビジョン・コンクール(セリーヌ・ディオンが1988年にスイス代表として優勝している)でフランス代表をつとめることは、フランスではようやく人々が知るようになったばかりだ。『ソニーはジャン=ジャック・ゴールドマンの兄弟、J.キャプレが作った「Je n’ai que mon âme」で出演することを決めたの。審査員は十数人いた他の候補者の中から、今度の5月12日にデンマークのコペンハーゲンでフランスを代表する歌手として私を選んだの。とても光栄に思ったし、その信頼にぜひこたえたいと思っているわ』
ナターシャにとってはすべてがつながっている。ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役でフランスで知られるようになった後、『Oh La!』誌の巻頭を飾った。巻頭を飾ったのはケベック版だったが、取材などはすべてパリで行われた。『あの取材ではH&K事務所の写真家、リュック・ルーと一日を過ごしたわ。あのとき撮影してもらった写真は他の雑誌にも使ってもらえたし。リュック・ルーはイザベル・アジャーニや、ソフィー・マルソーのような大スターの写真も撮影した人なのよ。ほんとにうれしかった』
ユーロビジョンに参加するために、ナターシャはガルーのコンサートの前座をジュリー・ゼナッティに譲らなければならないだろう。『ガルーは5月12日にコンサートを終える予定で、私は4日から12日までコンクールのためにデンマークに滞在するの。だから「ノートルダム・ド・パリ」では私が彼女の代役をしているので、今度はジュリー・ゼナッティがガルーの前座をつとめることになったの』
ナターシャの場合、スケジュールは非常にタイトだ。5月半ば、ケベックに帰るとすぐに
サード・アルバムの録音のためにスタジオに入る。『すべてがうまくいけば、アルバムは秋には発売できると思うわ。その後、みんなの反応にもよるけど、ソロコンサートを開くかもしれない。でも今のところは、ガルーの前座として歌う6曲に集中することね(そのうちの1曲、『Tous les cris, les S.O.S』は当地ではマリー・ドニズ・ペレティエが歌って有名になった)。ほんとにすべてのことがうれしいわ。とてもうまく行っているの』
彼女は大好きなツアーで多忙なので(彼女によれば『私、ギャングの素質があるのかも』とのことだが)、恋愛について考えるひまはないようだ。『今のところ本当に恋人はいないの。でも人生を賭けてもいい人に出会ったら、何とか彼のための時間を作るようにするつもりよ』」