ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(1995/01-2001/04/19)

■今回もナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)の経歴の続きを翻訳しようと思ったが、続きの部分は彼女のコンサートやディスコグラフィの羅列で面白みがない。事実としての彼女の経歴についてはLe site de référence sur NATASHA ST-PIER (ナターシャ・サン=ピエール情報サイト)という網羅的なWebサイトが見つかった。このサイトでは1995年、彼女が歌手として最初の契約を結んでから現在までの、公演、テレビ出演、ゴシップ誌の記事、アルバム、シングルなどが時系列で紹介されている。

―1995/01 最初の契約に署名(プロダクション・ミ・レ・ラ)
―1995/07 モーリス・タンゲ基金(病気や体に障害を持つ子供たちのために1991年にカナダ、ケベック州で設立された基金)のテーマソングを録音
―1996/02スティーヴ・バラカットによるファースト・アルバム『Emergence(出現)』を録音
―1996/08ギィ・クロティエ・コミュニケーションズによるアルバム『Emergence』のトリプルリリース
―1996/09 アルバム『Emergence』からのファースト・シングル『Il ne sait pas(彼は知らない)』が13位に
―1996/09 アルバム『Emergence』からのセカンド・シングル『Sans le savoir(知らないあいだに)』のビデオクリップ発売
―1997/02 『Sans le savoir』のビデオクリップがデコント・ミュジーク・プリュスで第1位に。
―1997/03 『Sans le savoir』がラジオ・カナダのチャート5位に。
―1997/04 アルバム『Emergence』からのサード・シングル『Portés par la vague(波に運ばれて)』発売
―1999/10 ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』に出演
―2000 『ノートルダム・ド・パリ』の英国公演に参加、「フルール・ド・リス」役。
―2000/11/10 フランスのテレビ局TF1のヴェロニク・クロティエ司会の番組「La Fureur(フィーバー)」に出演。ガルーとデュエットでジョー・コッカーの曲『Up Where We Belong』を歌う。
―2000/11/25 この日、ナターシャを初めてフランスとベルギーのテレビに『Tapis Rouge(レッド・カーペット)』という番組で出演させたのはミシェル・ドリュッカー氏。番組の中でナターシャは『Tu m’envoles(あなたは私を飛び立たせる〔訳注:s’envolerは再帰動詞としてしか使わないはずだが〕)』を歌った。
―2001/03/28 Yahoo!フランスのニュースにナターシャの記事。「ユーロビジョンのフランス代表は誰?」。
「間もなく開催されるユーロビジョン・グランプリでフランスのために戦うのは『ノートルダム・ド・パリ』でブレイクしたカナダの女性歌手。ナターシャ・サン=ピエールは実際フランスではまだ知られていない女性歌手だが、第46回ユーロビジョン・コンクールにわが国代表として出演し、3月12日のコペンハーゲンでの模様はフランス3で生中継される。この20歳の少女はガルーと同じヌーボー・ブランシュヴィック出身、ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役(フランスではジュリー・ゼナッティが演じた)で注目され、ケベックやロンドンでもこの役を演じた。また2001年4月2, 3, 14, 15, 16とオランピア劇場で開催されるガルーのコンサートの前座を担当する。彼女のセカンド・アルバム『&Agrave chacun son histoire』は4月3日に発売。コンクールではこのアルバムからのシングルカット曲『Je n’ai que mon âme』を歌う。この曲は誰もが知るゴールドマン兄弟のロベール・ゴールドマン作曲。昨年のコンクールではソフィア・メタリが最後から2番目だったため、ナターシャ・サン=ピエールはソフィアより悪くなりようがなく(よほどの不運がおとずれないかぎり)、両肩に何のプレッシャーもなく旅立つ。」
―2001/03/29 フランスのテレビ局、フランス3でジュリアン・ルペール司会の番組「Questions pour un champion(チャンピオンに質問)」に出演し『Je n’ai que mon âme』を歌う。
―2001/04/01 「ケベック音楽情報」に記事「第46回ユーロビジョン・コンクールにナターシャ・サン=ピエール参加」掲載。
「1956年以来、欧州参加国の楽曲から毎年1曲が栄冠に輝く有名な歌のコンクール、ユーロビジョンの第46回が2001/05/21夜に開催される。歌の国民性は何よりも作曲家の出身国によって決まるもので、作曲家は自分で歌手を選ぶことができる。そういうわけでダブリンで開催された1988年にはスイスを代表してセリーヌ・ディオンが『Ne partez pas sans moi(私をおいて行かないで)』でグランプリを受賞、同じ年にはララ・ファビアンがルクセンブルク代表で出演した。2001年の今回は、ナターシャ・サン=ピエがフランスを代表し、ロベール・ゴールドマン作曲『Je n’ai que mon âme』を歌う。ちなみにロベール・ゴールドマンは、わがセリーヌ・ディオンがリスペクトする作曲家の一人、ジャン=ジャック・ゴールドマンの兄弟だ。ユーロビジョン2001はデンマーク、コペンハーゲンにあるパルケン・スタジアムから生中継され、23か国が代表を送り込む。ユーロビジョンで賞を得た楽曲は羨望の的となるが、1965年のユーロビジョンで、セルジュ・ゲンスブール作曲、フランス・ギャルが歌った『Poupée de cire, poupée de son(夢みるシャンソン人形)』ほどの成功を収めた曲はない。その他の受賞者としては、1960年ジャクリーヌ・ボワイエ(フランス)の歌った『Tom Pillibi』、1966年ウド・ユルゲンス(オーストリア)の歌った『Merci ch&ecute;rie』、1967年サンディ・ショー(英国)の歌った『Puppet On A String(あやつり人形)』、1971年セヴェリーヌ(モナコ公国)の歌った『Un banc, un arbre, une rue(ベンチ、樹、道)』、1974年アバ(スウェーデン)の歌った『Waterloo(ウォータールー)』、1988年セリーヌ・ディオン(スイス)が歌った『Ne partez pas sans moi』、1999年シャルロット・ニルソン(スウェーデン)の歌った『Take Me To Your Heaven(あなたの天国に連れてって)』、2000年オルセン・ブラザーズ(デンマーク)が歌った『Fly On The Wings Of Love(愛の翼に乗って)』。歌われる歌の完全なリストと最近の受賞結果は、几帳面なファンのWebサイトにあるユーロビジョン・データベースで検索できる。ナターシャの話に戻ると、彼女は3月28日からガルーとともにフランス・ツアーを行っている。そして彼女のアルバム『À chacun son histoire(それぞれの愛の物語)』はソニー・ミュージック・レーベルから2001年4月3日火曜日に発売される。ユーロビジョン・コンクール公演は各国で同時生中継される」
―2001/04/01 ナターシャはフランスのテレビ局フランス2のミシェル・ドリュッカー司会『Vivement Dimanche(日曜日が待ち遠しい)』に出演。『Je n’ai que mon âme』を歌う。
―2001/04/03 ナターシャに関する記事。
「ナターシャ・サン=ピエールはセリーヌの軌跡を歩む・・・もしセリーヌ・ディオンが好きなら、ナターシャ・サン=ピエールも好きになるだろう。ケベックのスター、ナターシャは15歳でファーストアルバムを録音。リュック・プラマンドンが『ノートルダム・ド・パリ』のケベック公演、欧州公演で彼女を「フルール・ド・リ」役に抜擢。以来、彼は彼女のニューアルバムにいくつか詞を提供し、この春『À chacun son histoire』として発売。20歳にしてナターシャは話題の人となり、3月5日と、4月14,15, 16日、オランピア劇場でのガルーのツアーの前座をつとめる。セリーヌ・ディオンのように、このカナダ人の少女は5月21日のユーロビジョンでフランスを代表する。Tabernacle!(訳注:訳し方が分からない)」
―2001/04/03 セカンド・アルバム『À chacun son histoire』発売。
―2001/04/09 サーシャ・ディステル司会のフランス3のテレビ番組『En attendant l’Eurovision(ユーロビジョンを待ちながら)』に出演。彼女の曲『Je n’ai que mon âme』を二度歌った。TV5での再放送はない。
―2001/04/17 フランス2のローラン・リュキエ司会のお笑い番組『On a tout essayé』でナターシャが取り上げられた。番組スタッフは『Je n’ai que mon âme』を検証し、ダン・ボランデは自らのレポートの中で、オランピア劇場でのガルーのコンサート出演以来、カナダ人歌手がユーロビジョンでフランス代表となることに抗議していると述べた。ダンのインタビュー・カフェのコーナーではナターシャは今までになく好感の持てる態度で接し、スタッフは彼女の優しさを強調。歌に関しては、意見が割れた。
―2001/04/19 カナダの『CANOE』誌にナターシャの記事。
「『ここまでやってこれたことに満足しています。すべてがうまくいけばいいと願っていますが、期待しすぎてもいけないでしょうね』。翌日のパリのオランピア劇場での公演でガルーの前座をつとめる前、ナターシャ・サン=ピエールは浮き足立っていた。『公演前にそれほど緊張することはないんです。本当に緊張するのは舞台に上がるほんの5分前。でも歌い始めると、気持ちがすっかり入れ替わります』。舞台に上がる直前、ガルーは彼女を前座として紹介するのがほとんど恥ずかしいくらいだったと語る。ずっと以前から彼女は一人で舞台に立っていたのだから。そしてヌーボー・ブランシュヴィック出身のナターシャは今やもっぱら賞賛を浴びるようになった。彼女は6曲を歌い、スタンディング・オベーションを受けた。オランピア劇場の前座としては初めての出来事だ。『公演の後、コカトリックス夫人(長らくオランピア劇場のパトロンだったブルーノ・コカトリックス氏の未亡人)が私に会いにいらして、目に涙をいっぱいにためてお祝いの言葉を頂いたの。とっても感動的な瞬間だったわ。彼女、前座をつとめたアーティストのために観客が立ち上がるのを見たのは初めてだって言ったの』とナターシャ・サン=ピエールは話した。オランピアの後、ナターシャはガルーとともにフランス・ツアーに出た。『各地を訪れるのにいくら時間があっても足りないくらいです。とっても忙しい日々でした。フランスではたくさんのプロモーション活動があったし。私のアルバム『A chacun son histoire』がカナダでも発売されました。たくさんインタビューを受けて、午後の終わりには音声のチェックのためにコンサート・ホールに入らなきゃいけなかったんです』。ナターシャは5月半ばにケベックにもどるつもりだ。『今年の夏は、ニュー・アルバムの録音のためにスタジオにこもる予定です。当面何が待ち受けているのかよく分かりません。あまりに多くのことが起こりすぎて。ユーロビジョンの後は、全てのスケジュールを再調整すると思います』。ユーロビジョンと言えば、彼女が5月12日にコペンハーゲンでフランス代表歌手として歌うことはすでにご存知の通り。先週末にはフランスのテレビでこのコンクールを取り上げたスペシャル番組『ユーロビジョンを待ちながら』が放送された。残念ながらケベックのTV5ではこのスペシャル番組は再放送されない。この放送の中で、ガルーはナターシャ・サン=ピエールを、自分がコンクールに推薦したのだと紹介した。コンクールでは彼女は『Je n’ai que mon âme』を歌う。ジャン=ジャックの兄弟であるロベール・ゴールドマンの作曲だ。このコンクール、第46回ユーロビジョンは、昨年33か国7億人に向けて放送された。セリーヌ・ディオンは1988年に『Ne partez pas sans moi』を歌ってグランプリを受賞している。」