セサミストリートの変化

■今朝テレビ東京の『セサミストリート』をしばらくぶりに見た。やはり当初の日本を意識した番組づくりが不評だったのか、本家米国制作のコントやアニメーションが使われるようになっており、英語学習部分が長くなった印象がある。僕と同じような意見の視聴者が少なくなかったのだろうか。
しかしその変化がもとのNHK教育版にもどる方向になっている事実を考えると、やはりセサミワークショップはこの番組が、日本でどのように愛されてきたかについて、いかにも米国人らしい誤りをおかしていたのではないか。
つまり『セサミストリート』という番組は各国の文化に自由に染まる白地の画布のようなものだ、という誤解だ。実際には米国の主張する「自由」や「民主主義」といった価値観と同じく、米国の外から見れば決して中立ではなく、いかにも米国らしい文化なのである。『セサミストリート』が日本的になることを望んでいる日本の視聴者などいない。