朝礼のスピーチとパスカルの懐疑の射程

■現在の勤務先では毎朝朝礼があり、社是のようなものをフロアにいる社員全員で復唱した後、当番制でスピーチの順番が回ってくる。最近、僕に順番が回ってきた。
前回は、そのころ読んでいた論理療法の本からABC理論について話したのだ。A(Activating events=きっかけとなる出来事)、B(Briefs=各人の信念体系)、C(Consequences=帰結)ということで、要は同じ出来事に遭遇しても各人の認識枠組みや信念によって、結果としてとる行動が異なるという、ごく当たり前のことを大げさに理論化したものに過ぎない。
今回は、先日このWebサイトでエッセーにも書いた、石原都知事の失言にからめた「パスカルの賭け」のスピーチをした。普通の会社の朝礼でパスカルの話をするのは、別に格好をつけているわけではなく、いまさらながらパスカルの思想の一筋縄ではいかないところに本当に感銘をうけたからなのだ。もちろん一般の会社員にこの感銘は絶対に伝わらないだろうと分かった上でのスピーチなのだが。
僕は卒論をデカルトの『省察』をテーマに書いたこともあり、17世紀のフランス思想家はデカルトしかまともに読んだことがない。そして彼の誇張懐疑という方法論はこの「think or die」の基礎理論にもなっているほど、僕にとって今もって重要な思想態度でもある。
ご存知のようにパスカルはそのデカルトについて「無益にして不確実なるデカルト」という有名な言葉を残している。今回「パスカルの賭け」と、小林秀雄の『パスカル』という小論を読んで、もしかするとパスカルの懐疑の方がより広い射程を持っていたのではないかという発見があった。
食べ物やアルコールやファッションやタバコやギャンブルや風俗ではなく、こういう発見に無類の悦びを感じるということは、一般の会社員には理解し難いのかもしれないが、事実なのだから仕方ない。