沼津旅行

■旅は日常というものを忘れるために出かけるものだ。だからふつうは日常生活とまったく違う場所、外国のリゾート地のようなところが理想的な旅先なのかもしれない。ただ、あまりに日常と違う場所では、かえってその場所が旅先であることが際立ち、自分が日常から逃げてきていることを思い出させ、日常が旅先まで追いかけてくるような気がする。
僕が好きな旅先は、日常生活とほとんど変わりない場所だ。先日、近場で安価に日常を忘れるために熱海に出かけたのだが、熱海駅から歩いて10分ほどの繁華街にあるイーオンで翌朝食べるためのパンを買った。翌朝は海岸沿いにある温水プール施設で、地元の人たちにまじって800mほど流して泳いだ。それでも熱海は熱海で、町中を歩いていると「荒廃したリゾート地」の雰囲気がまとわりついて離れない。
仕方なく東海道本線で20分ほどの沼津駅で降りて、駅前の繁華街を歩く。ちょうど昼休み時で、近くのオフィス街からサラリーマンやOLが飲食店に入っていく。翌朝目が覚めれば、何のことはない、僕は昔から沼津に暮らしていて、今日も沼津駅南口から歩いてしばらくのオフィス街の見慣れたオフィスビルに入り、エレベータに乗って、見慣れたオフィスに入り、どこにでもある事務机にすわり、昨日の続きの仕事を始め、いつものように淡々と仕事をして、ときには遅くまでの残業もし、また寝床へ帰っていく。そうやって昔から沼津という街で暮らしていたことに、何の疑問も抱かず、明日から暮らし始めるだろう。
そうして本当の意味で、日常というものはゆっくりと遠ざかっていく。
沼津という街には、まるで本当にそうでありえたかのような、もう一人の自分が生きている。今日だけではなく、明日も、明後日も。そういう自分が、日本中の似たような小都市に、何人も、そうでありえた自分として生きている。
そのうちのいったいどれが僕にとっての日常と呼べるだろうか。その一つひとつ、すべてが日常であるとすれば、日常と旅との区別はなくなり、すべてが旅であると同時に日常にもなり、すべてが旅でもなく日常でもない。それこそ本当に旅と言えるものであって、明日、目を覚ました僕は、きっとどこかの旅先のホテルで目を覚ましているに違いない。