『女王の教室』のゆとり教育批判

■日経新聞は『女王の教室』と『ドラゴン桜』を総称して、「階層格差ドラマ」と呼んでいるらしい。上流と中流の格差拡大という日本の世相を反映したドラマということらしいが、実際『女王の教室』で言う6%の人間に選ばれながら、都心に住むでもなく、郊外の賃貸マンションでモロ中流の生活を送っている僕としては、これらのドラマも所詮、原作者や製作者のインテリ・コンプレックスの産物としか見えない。
ただ、『ドラゴン桜』のつくりの稚拙さは論外として、『女王の教室』を階層格差ドラマとしてだけとらえるのはやや浅薄だ。むしろ「ゆとり教育」批判と見るべきだろう。子供が将来自分の力で生きられるようになるために、大人は本当は何を教えるべきか。天海祐希の妙にハマった担任教師役は「ゆとり教育」の正反対を極端にまで推し進めたキャラクターとして、かなり真剣な問題提起をしている。
もう一つ、このドラマはいかにも日本的な悪平等主義、結果の平等主義に対する強烈な批判にもなっている。天海祐希の受け持つ生徒たちは、みんなが1位でゴールする徒競走を演出する大人たちの価値観を見事に体現している。一人の落伍者も出さず、みんな仲良くやっていくのが一番という価値観だ。
このサイトで取り上げた高橋伸介が『虚妄の「成果主義」』で書いているように、高度経済成長期の日本、つまり成果主義が導入される前の日本は、実際には大量の同期入社どうしが管理職のポストを争う、今より競争の激しい時代だった。「ゆとり教育」や「結果の平等主義」はそんな社会を生きた「おじさん」たちの偽善の具現化だ。「純粋な」子供たちには、こんな非人間的な競争をさせてはいけない。みんな友達。みんな平等。それが偽善でなくて何だろうか。6%に入っても、ピンキリの人生がある。それこそ本当の競争社会なのに。