運航ミスの荒唐無稽な精神論

■今日の日経朝刊は「日航機墜落事故から20年」というタイトルで、最近の運航トラブルに見られる安全意識の薄れによるミス頻発をとりあげている。日経に限らず、公共交通機関の事故原因となると、過半の新聞報道は「安全に対する意識が薄れてきている」ことを第一に取り上げる。しかし「安全に対する意識」といったようなつかみどころのないものを、第一の事故原因にするのは、それこそ責任の所在をあいまいにする議論の進め方ではないか。
それに20年前の社員と現在の社員で、「安全に対する意識」が明らかに低下しているということを新聞社は一体どうやって検証したのか。ミスが多く発生しているという事実から、勝手に「安全意識の低下」という原因を推測しているのではないのか。ミスや事故の原因を、個々の社員の「意識」といった抽象的なものと短絡させてしまう日経新聞の記者こそ、記者としての「意識が低下」しているのではないか。
20年前の航空会社社員の置かれている環境と現在とで、客観的に変化している事実がある。それはこの記事でも触れられているように、国内線の輸送人員が20年前の二倍になっているのに、社員数は二倍になっていないということだ。合理化努力で社員一人当たりの業務負荷が増えている。これこそ客観的に検証可能な事実であり、まず第一にミス多発の原因として疑うべき事実ではないのか。
「安全意識」や「社員の緊張感」といった抽象的なものが、あたかも空の安全の鍵をにぎっているかのような論調は、大手新聞社の記事としては明らかにずさんであり、論理的に破綻している。この記事を書いた記者は、このような指摘を受けたとしたらおそらく、「記者としての意識が低下していました」と論点のずれた反省をするに違いない。自分で自分のことを客観的に分析することができない記者が、どうして他人のミスを客観的に分析できるだろうか。そしてこういう記事が、「ミスの原因は意識低下である」という荒唐無稽な世論をますます根強くし、各社が事故に対して真に有効な対策をとる可能性をつみとってしまう。
日本の新聞記者はいったいいつになったら日本的精神論から卒業し、この種の問題を実証的に議論できるようになるのだろうか。そうならない限り、業務負荷増がそのままミス多発につながる日本の企業組織も変わらないだろう。