制度のレベルと倫理のレベルの峻別

■休暇中のJR西日本の社員を叩くいかにも日本的な集団心理こそ、安全性軽視の非科学的企業体質と共通する後進性だという僕の批判について、大いに賛同というトラックバックやメールを頂いている。しかし一方で、一つだけ反論のメールを頂いた。休暇中とはいえ同僚との親睦会なのだから、半分勤務・半分休暇みたいなもので、やはり社員として責任は問われるべきだという反論だ。
この反論を頂いた方が正直にメールアドレスを入力頂いたとすれば、某大手企業の方なのだが、その会社の社風がとても率直に現れていると感じた。会社の社風によっては、「半分勤務・半分休暇」という状態をすんなり受け入れられるのかもしれない。
僕が言いたかったことは、少なくとも制度上は、100%休暇か、100%勤務中かのどちらかの状態しかないと考えるべきということだ。仕事と私生活のけじめをあいまいにしてしまう考え方があるから、「日勤教育」のように、業務とは無関係な面で社員を追い詰める悪習が生まれるのであり、合理的な根拠にもとづく安全対策が着実に進まなかったのである。
また、メールを頂いた方は決してそうではないと思うが、「同じJR西日本の社員なんだから責任がある」という「連帯責任」的な考え方が混じっているとすれば、それこそ軍国主義に逆戻りである。
あくまで休暇中の社員は一私人であり、事故現場に駆けつけるかどうかは個人の良心の問題である。そして彼らの良心を責めるなら、問題は「法制度」のレベルから「倫理」のレベルにジャンプしていることになり、その責めは自分自身にも向かう。あの事故が起こっているとき、自分は何をやっていたかを自問すべきだ。
また、半分勤務・半分休暇といったあいまいな状態は、少なくとも「制度」上存在してはならない。これについては労災認定訴訟のことなどを想起されるとよい。過労による自殺で夫を亡くした家族を救うには、半分勤務・半分休暇などというあいまいな状態を決して許してはならない。
このように考えると、「純粋に休暇とはいえない」状態を認めてしまう考え方は、制度の中で生きる会社員としてかなりリスキーな発想であることがご理解頂けると思う。(決して反論頂いた方を個人攻撃しているわけではないので、どうか誤解されないようお願い致します)

制度のレベルと倫理のレベルの峻別」への0件のフィードバック