浮遊からの浮遊、「自分とは何か」とは何か

■先日書いたが、『情熱大陸』というテレビ番組に出演していた第132回直木賞作家の角田光代の、まるで会社員のように規則正しい執筆活動と、作家にありがちな自意識過剰さや気取りのなさに、いったいこの人はどんなものを書くのだろうかと気になったので、デビュー作『幸福な遊戯』(角川文庫)『夜かかる虹』(講談社文庫)とたてつづけに読んでみた。
批評家の斉藤美奈子は彼女の作品を「心理的な『住所不定無職』の状態」と評しているが、その根無し草ぶりが単に「わたしはだれ?」というX世代にありがちな「自分さがし」、自分とはだれかに関する認識論的なレベルを突き抜けて、わたしは良く似ているほかのだれかでもありうるし、そもそもこの世にたしかに存在しているかどうかさえ疑わしいというレベルにまで達している。その底なしの浮遊感が絶望をただよわせないのは、彼女の想像力がつむぎだす登場人物が、そういう「底なしの浮遊感」からも浮遊しているためだ。
阿部和重の芥川賞と同時の直木賞受賞だが、たとえば『夜かかる虹』で描かれるような自我の輪郭の危うさや、『無愁天使』の買い物依存症の主人公の内面描写と独白の迫真性は、読者をかなり疲れさせる深さと暗さをもっている。僕にとってはクセになるタイプの作品で、すでに文庫本で三冊目にとりかかろうとしているところだ。

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