筑紫哲也とジャーナリストの円環

■筑紫哲也が夜のニュース番組でライブドアの堀江社長と話しているのをテレビで見て、筑紫哲也の言葉に違和感を抱いた。視聴者が興味を持たなくても大事なことを伝えるのがジャーナリズムの役割だ、という言葉だ。逆に堀江社長は受け手が興味のある情報を自ら取りに行くのがインターネットの長所だと語っていた。
筑紫哲也の言葉の大前提として、ジャーナリストは無数に起こる出来事の価値を、一般人より適切に判断するという考え方がある。筑紫哲也はジャーナリストを何らかの意味で一般人「より」優れていると考えるからこそ、ジャーナリストは一度に何千万人という人々に一方的に情報発信できるテレビや新聞などの特権的なメディアを利用する権利を持つと考えているのだ。それ以外にジャーナリストがマスメディアを利用する権利を正当化する理由はない。
しかし真実は、ジャーナリストの一般人に対する優位性と、ジャーナリストがマスメディアを利用する特権は、ニワトリとタマゴのような円環の関係でしかない。ジャーナリストが優れているからマスメディアを利用できるのか、マスメディアを利用できるからたまたま情報優位にあるだけなのかは、誰も断言できないはずだ。
しかし筑紫哲也は臆面もなく、ジャーナリストの存在意義が、一般人が大事だと思わない情報を伝えることにあると断言してしまう。この断言こそがマスメディアの傲慢であることに彼は気づいていないのだろうか。少なくとも彼の言葉を聞く限り、筑紫哲也はジャーナリストの自己規定、つまり、ニワトリとタマゴの円環の内部に閉じこもってしまっている。
対して、自分で情報を引き出すインターネットの利点を主張する堀江社長もあまりに素朴だが、それでもその円環を開く提言をバリバリのジャーナリスト筑紫哲也に提言できるだけ、まだ思考が開かれている。その提言に対して、番組で筑紫哲也はジャーナリストの自己規定を自己弁護するに終始していた。良心的なジャーナリストである筑紫哲也でさえそうなのだから、フジテレビやニッポン放送の組織の理論が、堀江社長に強烈なアレルギー反応を示すのは無理もない。

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