高橋哲哉著『教育と国家』

■高橋哲哉氏の『教育と国家』(講談社現代新書)を読んだ。「think or die」ファンの読者ならすでにご存知のとおり、高橋哲哉先生は僕が某国立大学でデリダの勉強をしたいと思いたったまさにその理由である。先生と同じ進路ということではじめから文学部を選ばず、大学院進学のときに哲学科へ入るという計画まで立てていただのが、もろもろの事情で今じゃ一介のサラリーマン。
そんなことはどうでもよくて、本書は語りおろしだけあって、とてもわかりやすい。中身としても論理的な破綻のない、相変わらず抑制のきいた着実な論の進め方で、ただただ納得しながら読みすすめることができる。もちろんそれは僕自身が「新しい教科書を作る会」のような新保守主義者ではないからなのだが、それを割り引いても論理的には正しいことが書いてある本だろう。
しかし、しかしである。一読者としてのもの足りなさはまさにその「正論」ぶりにある。日本を軍国主義的な国に逆もどりさせようという新保守主義が、どう考えたってアナクロで無理があるのに、小林よしのりをはじめとして、どうしてここまで支持されちゃってるのか。そのことについて本書はあえて考えることを避けているように見える。
本書は新保守主義に対して真っ向から論駁する書であり、その限りにおいては大衆向けの書物としてもほぼカンペキだが、それが新保守主義に対する効果的な対決のしかたであるかどうかは、正直いって疑問だ。本書は新装版の講談社現代新書の最初の10冊であるにもかかわらず、もう大型書店からは姿を消している。
新保守主義は一般大衆にうったえかけるわかりやすさがあるから、一定の支持を得てしまっている。その点に分析のメスを入れない新保守主義批判は、残念ながらそれほどの効力は持たない。たとえば今の「韓流」ブームはどうだろうか。新保守主義の人たちから見れば、教科書問題でうるさく「内政干渉」してくる韓国の、そのトップスターに、日本人女性が熱を上げている様子はただただふがいない光景に違いない。韓国ブームをになう日本人大衆に対しては、新保守主義の人たちもさすがに正面きって韓国たたきはできないだろう。
たしかに一時的な韓国ブームで、日本人が自分たちの歴史観を突然まじめに見つめなおすとは限らないのだが、少なくとも新保守主義者たちの短絡的な韓国バッシングには拒否反応をしめせるはずだ。大衆性には大衆性で対抗するのか、そうでないのか。たぶんこの問題ってデリダの問題系でいえば「パルマコン」というキーワードになると思うのだけれど、そういう方向でこれから高橋哲哉先生の新保守主義との対決がどういう風に発展していくか、とっても楽しみだ。