武田國男氏批判の反響

■武田國男氏の「私の履歴書」を批判したことに対して、2人の読者からほぼ同じ反論メールがとどいた。どうして彼のような生き方に共感できるのか理解に苦しむ。
連載の第一回目に、氏の兄が死んだとき、氏が父親から自分の存在を否定されるようなことを言われたという下りは僕もちゃんと読んでいる。しかし、だからといって親のスネをかじりながら、親の期待にそむくという矛盾した生き方を、社会人になってまで続けていいということにはならないだろう。
せいぜい大学生までなら、若者らしい反抗期とでも言えるが、会社から給料をもらってなお遊びほうけるなど、単なる無責任な大人としか言いようがないではないか。そんなに商家の厳格な家庭が嫌だったなら、親からの独立を決意して家を出るなりすればいい。そうでなければ、いつか父親を見返してやるぞと決意して、黙々と努力すればいい。
そのどちらにも踏み切れずに、親の経済力に頼りながら親に反発しつづけるという矛盾した生き方のどこがまっとうな生き方なのか。こんな生き方にどうして共感できるのか僕にはまったく理解できない。
以前ここにも書いたかもしれないが、僕も「自分はこの世に存在してもいいのだろうか」という疑問を抱きながら生きてきた種類の人間だ。しかしそういう疑問を抱いているからこそ、自分の存在理由を何とか見出そうと、さまざまな努力を積み重ねるのではないか。それが倫理的に生きようとするということではないのか。
もう一度書くけれども、世の中には経済的な理由で大学に行けない、留学ができないという人がたくさんいる。そのような人たちの境遇を考えれば、武田國男氏の生き方は徹底して自己中心的、自己陶酔的である。