三谷幸喜『笑の大学』

■三谷幸喜脚本、星護監督『笑の大学』(2004年)を観てきた。三谷幸喜の脚本だけでほとんどもっているような映画なので、この脚本を舞台で観た人は、この映画を観る必要はないかもしれない。テレビや映画で『世にも不思議な物語』を演出しているだけあって、星護監督の映像上の演出は、二人の対話の切りかえしショットのフレーミングや、照明の工夫などツボをおさえている。
ただ、コメディ映画であるにしても、『石川三十五郎』の舞台の小松政夫のカットバックはくどいし、劇場に入っていく役所広司を、建物の中まで追っていくシーケンスは、あそこまで撮る必要があったかどうかは疑問だ。検閲室で役所広司が警官役を演じて、初めて芝居の面白さに歓喜するシーンも、テレビ向きの過剰演出ではないか。それでも脚本の面白さを味わうのに邪魔にならない映像という意味では、映画として十分楽しむことができた。この脚本をより多くの人たちが観られるように映画化した功績は大きい。
脚本に話を移すと、『笑の大学』はコメディと言っても、かなりまじめなコメディだ。扱っているテーマは、三谷幸喜自身の喜劇作家としての使命感であり、だからこそ映画の最後には三谷の分身である椿一(つばき・はじめ)の命を懸けた脚本に感動さえ覚える。それだけに、椿一が徹夜してまで最後の脚本を仕上げた理由が、「状況が変わったから」ということになっている部分には、かなりがっかりした。
個人的には、ただ検閲官の向坂睦男の笑顔のためだけに、最後の脚本を仕上げてきたのだ、という理由づけの方が、もっと喜劇作家としての使命感が強く表現できたのではないかと考えるのだが。そうすれば、あの脚本を検閲官がひとり楽しむためだけでなく、大勢の観客たちを笑わせるためにきっといつか劇場で上演しようという約束も、もっと感動的になったはずだ。僕が『笑の大学』の脚本に「検閲」を入れるとすれば、この点だけである。