アンドレイ・ズビャギンツェフ『父、帰る』のキリスト教的含意

■新宿武蔵野館で2003年ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞したアンドレイ・ズビャギンツェフ監督『父、帰る』(2003年)を観てきた。菊池寛の小説を思い出させ、映画の格調高さが台無しのタイトルは無視していい。
12年ぶりに帰宅した父が、息子二人を連れて旅に出るロードムービー。主要なテーマは映画の冒頭ですでに明かされてしまう。帰宅した父が休息のためにベッドに横たわっているところを、足元からほぼパンフォーカスのローアングルでとらえ、父親の体には光沢のあるシーツがぴったりとまとわりついている。イタリア・ルネサンスの名画『死せるキリスト』そのままなのだ。観客はこの時点ですでに、この父親がキリスト的なものを象徴させられていることに気づく。
それでもこのロードムービーは、息子たちが厳しい父親に教えられながら大人へと成長していく「教養小説」の形式をもった映画と思わせながら進行する。画面の一つひとつが計算されたフレーミングで、決して長まわしではないが、アンドレイ・タルコフスキーを思わせる荘重な絵画のようなカットになっている。息子と父親の対立が頂点に達したとき、父親は『死せるキリスト』のカットで予告されたように、長い年月、家族を捨てていた自らの罪をあがない、同時に自らの息子たちに対する愛を表現できるただ一つの手段として、自ら死んでいく。息子の代わりに自らの命を落とす。そうして今度は息子たちの方が、決して父を赦さなかったために、その父を半ば自分のせいで死なせてしまったという罪を背負って生きていくことになる。赦しを乞うための父はもう存在しないということで、父は息子たちにとって永遠に手の届かない存在でありつづける。
キリスト教的なテーマが力強く通底しているために、日本人にとっては感情移入がとても難しい映画になっていることは否めない。ここまで厳格な父親像、決して赦さず、その不在によってしか愛することを表現できない父親像は、ちょっとわれわれ日本人には理解しにくいのではないか。
監督自身、インタビューに答えて、この映画は「人間の魂の、母から父への、形而上学的な旅についての映画である」と言い、「キリスト教の伝統のない日本の観客の皆さんにとってはわかりにくいものになってしまうかもしれません」と言っている。それにしてもこの監督は新人で、スタッフも新人ばかりだというのに、このいかにもロシア的な重厚なストーリーと映像には驚かされる。ただ、このこともそれほど驚くべきことではないのかもしれない。
タイトルロールからも分かるように、この映画はなんたって「レンフィルム」制作なのだ。僕がまだ学生だった10年前に東京で「レンフィルム祭」があったとき、『動くな、死ね、甦れ!』を含めカネフスキー作品も観たような気がするのだが、映画の中身についての記憶は完全に失われてしまっている。10年という年月は長い。大切な過去の想い出が少しずつ、僕から失われていくのは悲しいことだ。
■『スウィングガールズ』の中で主人公の妹が、プレステで「Space Channel 5」をやっているのはちゃんと意味があったんだな。最後の演奏会で山川高校の「スウィングガールズ」が2曲目に「Mexican Flyer」という曲を演奏するのだが、この曲は「Space Channel 5」に登場するらしいということを今日初めて知った。Hipster Imageの「Make Her Mine」の方は、昔LevisジーンズのテレビCMに使われていたようだ。アニマルズに見出された1960年代のモッズバンドらしい。