強権発動型リーダが必要な場合

■数日前の「愛と苦悩の日記」に、これから規模の拡大を目指す会社の場合、経営のあり方はどうあるべきかについて書いた。もちろん僕のような単なる中堅会社員が、経営のあり方をうんぬんするのは「まだ早い」と言われるのは承知だが、自分でやれるかどうかは別として、それぞれの会社に適した経営のあり方を傍目から論じるだけなら、それなりの洞察力があればかんたんにできる。
そのときは、これから規模の拡大を目指す会社は、カリスマ経営者による社内統治か、ルールによる社内統治かのどちらかだと書いた。しかしもう少しよく考えてみると、小さな会社で社内にルールを徹底するというのは難しいことがわかる。
小さな会社は仕事が標準化・明文化されず、どうしてもそれぞれの担当者の暗黙知にたよらざるを得ないが、これをいきなり標準化・明文化するのは、その担当者の立場をなくすことになる。したがってそれぞれの担当者は必死でわが身を守ろうとして、仕事の中身を無意味にきめ細かくし、自分の部署でしか通用しないルールを増やしていく。他部門とのヨコの連携は二の次になり、小さい会社のわりに、セクショナリズムが横行することになる。
こういう担当者には、外からの圧力が必要なのだ。規模の拡大を目指さず、みんなで仲良く仕事をつづけていくだけなら、セクショナリズムなど大した障害にならないが、規模を拡大することを目標とする限り、セクショナリズムは致命的だ。組織の規模が小さい間からセクショナリズムがはびこっているようでは、規模の拡大とともにそれが強まりこそすれ、弱まることはない。規模の拡大によって、それぞれの部署の中での部門長の権限が大きくなるためだ。
だとすれば、組織の規模が小さいうちに、セクショナリズムの芽は断固としてつんでおく必要がある。そのために必要なのは、結局のところ強力なリーダーシップなのだ。つまり、これから規模の拡大を目指す会社の経営のあり方は、強力なリーダーシップしかありえないということになる。誰も気を悪くしないように、全員をもりたてることが得意な「調整型」のリーダはいらないのだ。
むしろ成長を目指す企業が「調整型」のリーダをトップにしてしまうと、社内のセクショナリズムは、ますます深く根を下ろすことになり、会社全体が一つの方向に集中して進むことを妨げる。これはまだ小さな会社にとっては致命的な欠陥だ。成長を目指している企業に調整型のリーダはいらない。強権発動型のリーダが「必要悪」として統治すべきなのだ。ニコニコ笑って社員一人ひとりの話を聞き、社内に敵を作らないといった感じの「調整型」リーダは、企業規模の拡大に失敗する。少なくとも論理的にはそうなる。