ジャン・ベッケル『ピエロの赤い鼻』

■僕はフランス語検定2級に合格しているが、字幕なしでフランス語の映画を観られるほどの聴き取り能力はない。ただ、字幕つきでなら『ピエロの赤い鼻』で女優が話すセリフは聴き取れる。
印象に残ったのはラスト近く、夫をヴィシー政権に処刑された老婦人が「このことは誰にも話してはいけません」と強い口調で言う場面。フランス語では Personne ne le doit savoir. と「このことは誰も知ってはいけません」という言い方になっていた。Personneのper-に強いアクセントつきで。
ちなみにNHKのニュースで初めて知ったのだが、劇場で売っていた「赤い鼻」の売上げは、イラクで夫を殺害された橋田さんの設立した基金の一部になり、イラクでの子供のための病院建設にあてられるらしい。僕は単なるノベルティだとばかり思っていたので、買う気はまったく起こらなかったのだが、これから観に行く方は買ってみてはどうか。
NHKのニュースでは監督のジャン・ベッケルがインタビューに答えて、この映画を通じた橋田さんの活動に賛意を示していた。政教分離の点ではイスラム教徒にも不寛容なフランスだが、映画の中で赤い鼻をつけていたドイツ兵が、ナチス政権下でも生き残っていたドイツの良心だとすれば、ドイツ兵とフランス市民の交流との対比で、どうしてもナチスと米国がダブってくる。電子辞書をひきながら、ノーム・チョムスキーの『覇権か生存か』を読み進めているせいだろうか。なにせ、20世紀の歴史をさまざまな資料にたよりながらさかのぼって、米国こそが一級のテロリスト国家であることが、格調高い語彙で論証されているのだから。
■2004/10/09公開、ジャン・ベッケル監督のフランス映画『ピエロの赤い鼻』(2003年)を銀座シネスイッチで観てきた。劇場でフランス映画を観たのはほんとうに久しぶりで、今朝、休日だというのに何もすることがないなぁと、思いつきで観に行った割には大泣きして帰ってきた。脚本もよく練られ、編集もテンポよく、ナチ占領下のフランスの回想シーンも深刻さとユーモアのバランスが絶妙、撮影も流麗、ほとんど文句のつけどころのない佳作だ。
小学校教師がなぜ毎週日曜日、ピエロに扮して人々を笑わせるようになったのか。その理由を明かすだけの戦時回想映画だろうという予想は、良い意味で裏切られる。監督はモジリアニの伝記映画『モンパルナスの灯』(1958年)、『穴』(1960年)などで有名なジャック・ベッケルの息子だ。
「ピエロ」の若き日をふくむ4人が人質になるシーケンスは、緊張感と不思議なユーモアが奇跡的に同居しているが、その中に面白いセリフがひとつ出てくる。「刑務所に入れられているなら穴を掘って脱獄もできるが、穴に入れられたらどうやって逃げ出すんだ」、というセリフなのだが、さりげなく父親の作品を引用している。映像やセリフの隅々まで、フランス映画の嫌味のないセンスの良さと、一方的に占領軍のドイツ人を非難するのではない強い倫理性が徹底された名作だ。これでも褒めすぎではないと思う。