「無痛子育て」の帰結

■昨日の産経新聞で教育シンクタンク「ベネッセ未来教育センター」の中学生と親の関係についてのレポートが紹介されていた。中学生を対象に今年2月に実施されたアンケートにもとづくもので、レポートの全文はチャイルド・リサーチ・ネットのWebサイト内の「図書館」→「中学生の世界」からPDF形式で閲覧できる。
最近の中学生は大半が家庭を居心地のいい場所と感じており、親ともうまくいっているという内容だ。レポートの結論としては、これが小学生の調査ならいいのだが、反抗期のない中学生というのは、親から自立できていない証拠ではないか、となっている。
僕が考えるに、目だった反抗期がないまま育った子供は、成長してから「挫折」を感じたとき、つまり自分の期待どおりに自分が成長できていないと感じたとき、それを親の責任にするだろう。自分は親に逆らわず、親の助言にしたがって生きてきた。なのに「挫折」したのは親の育て方が間違っていたからだ、という論理である。
「反抗期のない中学生」は「叱らない親」の必然的帰結だと僕は考える。電車の中や街中の親子連れを見ていても、小さな子供を連れている親は、いくら子供が騒ごうがわめこうが、まず厳しく叱るということをしない。最近すっかり「トラウマ」という言葉が誤解されたままブームになっているので、厳しく叱ることが子供にとってトラウマになると勘違いしている大人が多すぎるせいだろう。
厳しく叱られずに育った子供は、当然、親と自分が別の価値観にもとづいて行動する別の人格だという認識が弱くなり、一体感の方が強いまま成長するはずだ。そうすると中学生になっても、親との「差異」を認識できず、反抗期もないまま大人になるということは十分あり得る。
レポートの結論部分は、対策として「子どもを自立させるステップを」ということで、親子関係を上下関係から対等な関係へ移行させるために、①子どもの意見や考えに耳を傾けよう、②自立のプログラムを作ろう、③弱みを見せよう、④時には、本音でぶつかる、という4つを提案している。
しかし中学生になって、親から独立した人格として分離することに失敗している子供に対して、「縦から横へ」親子関係を移行させるのは危険ではないかと思うのだが。
①のように自分の意見に耳を傾けてくれる親とは、ますます癒着するだろうし、②のように自立のプログラムを作られれば、その枠内であくまで「いい子」としてふるまうようになるだろうし、③のように親が弱みを見せれば、親もこうなのだから自分も自立しなくていいやと思うだろうし、有効な対策は④の、親として妥協しない点は妥協しないという策ぐらいではないか。
①から④はいずれも親と子供の距離を縮めようという対策だが、自立はそもそも親との距離感からくる孤独感からしか生まれないはずだ。それが反抗期の本質であるにもかかわらず、親から子供への介入を増やすようなこれらの4つの対策は、方向性としては正反対のことをやろうとしているのではないだろうか。
いまの子育ては、徹底して子供にとって居心地の悪いものを排除することを目指していて、親子の癒着や反抗期の消滅もその必然的帰結だ。森岡正博の『無痛文明論』にならって言えば、最近の親は子供のために必死になって「無痛」の環境を作ろうとしている。