マイケル・ムーア『華氏911』

■銀座でマイケル・ムーア監督『華氏911』を観て来た。まずスノッブな映画評論風に感想を書くとこうなる。
世界貿易センタービルでのテロについて、まったく別の物語をつむぎ出すことに成功しているという点で、ノンフィクションでありながら一貫性のある一つの映画たりえている。その物語は今まで僕が日本でテレビや新聞での報道から得ていた情報からは、決してつむぎ出すことができなかったものなので、僕はこの映画を観ながら、まるで僕の知らないところにもう一つ別の世界があって、そこはこの世界と表面上はとても似通っており、似たような人物が似たような生活を送っているにもかかわらず、まったく異なる規則にしたがって機能しているかのような錯覚に陥った。
そして僕が今まで生活していると思っていた世界と、この映画を観ることで見出されたもう一つ別の世界とが、どちらも同じくらいの現実味を帯びており、同じくらいの説得性をもって存在しており、僕自身はそのどちらとも同じくらい強く(あるいは弱く)結びついているように思われる。
その二つの世界が実際には同じ一つの世界の異なる側面でしかないのであれば、僕は僕自身、いかに一つの世界の片側しか見ていなかったかということに驚きを隠せない。平板な日常を異邦人の眼で眺めさせることによって、この世界がこのようなものとして存立していることそのものを、あらためて驚きをもって感じさせてくれるようなものを芸術と呼ぶなら、たしかにこの映画は芸術に違いない。
次に、経済紙の映画評風に感想を書くと、もっと簡潔に、この映画は米国がなぜイラク戦争に踏み切ったかについての説得力のある理由付けを、さまざまな映像の断片を織り合わせるあざやかな手さばきによって成功させている、という感じになる。
ところで『ボウリング・フォー・コロンバイン』と比較すると、軽さやお遊びはかなり息を潜め、後半はとても真剣な反戦映画になっている。この夏、夏になると毎年そうであるように、テレビでも戦争の惨禍を想起させるドキュメンタリーやドラマが放送されていたが、やはり大半は日本がうけた被害を中心に戦争の悲惨さを訴えるもので、今まさにイラクで行われている戦争と、それを支持する日本政府の歯切れの悪さはあたかも60年前の戦争とは無縁のものであるかのようにしか語られていなかったように思う。
米国人の上司と仕事をして、僕も彼らのマッチョなリーダーシップが改めて嫌いになったが、それでもマイケル・ムーアのような「良心」を殺さずにおく米国はまだ尊敬に値する部分を残している。サンケイグループの煽動を中心として右傾化しつつある日本にとって、この映画が全国160館にも配給される勢いを持っているのは、カンヌ映画祭パルム・ドールの後ろ盾があったからこそとは言え、頼もしい反撃だ。