平野啓一郎『滴り落ちる時計たちの波紋』

■平野啓一郎『滴り落ちる時計たちの波紋』(文芸春秋)を読んだ。この実験的な短編集を読むと『日蝕』が一つの文体の実験だったということがはっきりする。
『瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟』の前半「瀕死の午後」は初期の大江健三郎を思わせる粘液質の物語で、『最後の変身』はカフカの『変身』についての作者の解釈が同時に小説になっているというもので、『初七日』は僕が普段はまず読むことがないタイプの文体(たぶん中上健次っぽいのではないかと想像する)、『バベルのコンピュータ』は現代美術批評がそのまま小説になっているなど、非常に多様な形式の作品を楽しめる一冊。
小説に形式や文体以上の何かを求めている読者にとってはつまらない一冊かもしれないが、これら多彩なスタイルが今後の平野啓一郎の作品としてどのように結実するかを楽しみにさせてくれる、可能性としての一冊。