町田康『きれぎれ』

■町田康『きれぎれ』(文春文庫)を読んだ。夏休みの時期であるせいか、やはり予想通り「8月は純文学月間です」ということになってしまった。非現実的なイメージが非常に具体的という矛盾を、軽々と乗り越えてしまう文体が不思議といえば不思議。ふつう僕らが当然のことと思っている事物の存在感や現実感といったものが、いともかんたんにひっくりかえされている文体と、登場人物のひっくりかえり具合があまりにも一致しすぎてしまっているところがおかしさにつながっているのだろう。「ベタな笑い」というやつだ。
登場人物の置かれている状況も、日本の現代という状況の中ではかなり悲惨ではあるが、悲劇的かといえばそうではない。悲劇的というからには本人の意思とは無関係な運命とかいったものの力の存在が前提だが、町田作品に登場する人々は自分の意思で悲惨な状況に陥る。その意思も、あらかじめ意図したこととは別の結果を生み出してしまう意思で、その意図と結果のズレは漫才でいう「ボケ」そのもの。登場人物は際限なくひとりボケツッコミを繰り返しつつ饒舌な悲惨に陥っていくが、その速度を文体が担って、爽快さや、ちょうど映画で、自動車に積んだカメラが沿道を失踪する人物を真横からとらえるときのような美しさを表現することができているのかもしれない。