村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

■近所の小さな本屋の文庫本コーナーに、いまさらながら『ノルウェーの森』が平積みになっていて、『世界の中心で、愛をさけぶ』の大先輩の感動作であるといった趣旨の、店員手書きのPOPが添えてあった。自分の人生を左右するほどの大きな存在だった恋人を亡くた男性の主人公の独白の回想で、どちらかと言えば淡々とした文体で、飛行機で海外に旅立つ場面もあり、その恋人と過ごした日々が今となってはまるでそこだけ切り離されたもののように感じられ、しかしながら今もなおその喪失感は心に大きな穴をあけているなどといったところが確かに『ノルウェーの森』と『世界の中心で、愛をさけぶ』の共通点だ。
この手の物語は、主題や文体、その作品が書かれた時代背景がどうあれ、普遍的にいつの時代も日本人の若者に受け入れられるのかもしれない。ただ同じくくりにされるのは、どうも釈然としない。『ノルウェーの森』は読んでから随分経つので、もう一度読んでみれば両者の違いがはっきりするかもしれないが、昨日は『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)の方を買ってしまった。
今朝読み始めて、これは読んだことがあるかもしれない、気のせいだろうか、村上春樹の小説はどれを読んでも似た印象をうけるから、気のせいかもしれないと思いつつ、このWebサイトを検索したら、やはり2年前に読んでいる。最近ますますそうなのだけれど、つい2年前の僕自身でさえ誰かまったく知らない人のように思えてくる。どうしてあんなことをしていたのだろうとか、そんなこと言ったっけ、やったっけという具合に、自分の過去の言行に驚かされる。過去の自分の行為が他人がやったことのように新鮮に感じられることもある。つい2年前のことでも、子供のころの思い出のように現実感が失われ、そそくさと過去の堆積の中に遠ざかってしまう。これは年齢のせいなのか、僕がどこかで意図的に昨日の自分さえ、いそいで現在から切り離そうと努力しているからなのか、よくわからない。