日経の奇妙な少子化対策論

■昨日(2004/08/14)の日本経済新聞朝刊の社説は実に奇妙な論理にもとづいて少子化対策を論じていた。「出生率が上がっている町がある」という題名で、静岡県長泉町の合計特殊出生率が1990年の1.62から2000年には1.72へ跳ね上がった背景を紹介している。乳幼児医療費を無条件で無料化し、保育園の待機児童を出さないというのが長泉町のとった少子化対策だ。保育園に併設された「子育て支援センター」という施設も紹介されている。
しかしよく読むと当地の母親たちの声として、「県外から長泉周辺の企業に転勤する子育て中の知人には、負担の軽いこの地での居住を積極的に勧めている」という意見が引用されている。つまり、長泉町が周辺地域から子育て中の家族を吸い寄せているだけであり、この町の出生率が増加したのは、単に隣りと比べたらまだましだという理由でしかないのだ。
たとえば、全国の自治体が長泉町と同じく小学校入学までのすべての乳幼児の医療費を無料化するなどという施策が可能だろうか。長泉町よりはるかに人口密度の高い首都圏で、保育所の待機児童をゼロにすることが財政的に可能だろうか。長泉町の出生率の増加は、周囲と比べて相対的に条件が良かったというだけの理由であり、その施策が絶対的な効果を持っていたわけではないのだ。その証拠に静岡県全体の合計特殊出生率は、1990年の1.60から2000年の1.47へと低下している。自分の町だけ出生率を上げたいのであれば、子育て中の家族に有利に働く施策なら、子育てに直接関係なくても何でも打ち出し、町外に働きかけて転入者を増やせば出生率は上がる。
本当に日本全国の出生率を増加させたいのであれば、子供を持つ家族の数そのものを増やす必要があるのであって、もともと子供を持つつもりの家族や、子供がすでにある家族を他所から連れてくるだけではまったく意味がないのだ。そして、子供を持つつもりの家族を増やすために、乳幼児の医療費を無条件で無料化したり、保育所の待機児童をなくすことがどれほどの効果があるかは極めて疑わしい。なぜなら育児の経済的負担は小学校に入学してからが「本番」なのであり、乳幼児の段階での支援では、子供を「持ちたくない」夫婦を持つ気にさせることはまずできない。
最近の少子化対策の議論はそうした根本的なところで、真に効果のある施策を見誤っている。自分の老後にさえ希望の持てない二十代の夫婦が、どうして育児の経済的負担までかぶろうという気になるだろうか。まだ子供を持ったことのない夫婦に育児の喜びなど分からない。したがって「経済的負担に勝る喜びが育児にはあるのだ」という言葉は、子供を持つ前の夫婦に何の説得力もない。まだ子供を持ったことのな夫婦に説得力があるのは、ただ育児の経済的合理性を訴えることだけと考えるべきである。
それくらいラディカルな議論を展開しなければ、出生率を増加させることなど不可能なのだ。が、日本経済新聞も含めて、そのことを理解している人がどれだけいるだろうか。