『広告批評』高橋源一郎と五人の若手小説家の対談

■渋谷のブックファーストで『内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊』の次に何を読もうかと仕事が終わってから一時間半も文庫本コーナー、哲学書、文芸書、ノンフィクション、精神医学と歩き回ったがまったく決まらず、結局一階まで降りてきてふと目に止まった『広告批評』の最新号が偶然にも高橋源一郎と五人の若手小説家との対談を特集として組んでいたので迷わず購入して読んだ。やはりそろそろ読書をノンフィクションモードに切り替えなさいという神様のお告げだったのかもしれない。
僕にとって常に高橋源一郎の書評はいままで手にしたこともなかった小説を手にするきっかけになっていて、今回は吉田修一、平野啓一郎に挑戦することになった。というより、高橋源一郎というきっかけがなければ純文学を読まないのなら、初めから読まなければいいという議論もなくはないだろうが、決して純文学を読みたい気がないわけではない。
ただ、小説を読むとなると一冊あたり最低でも週末の一日をつぶすことになるので、ハズレの作品を読んでしまう時間を節約するための最善の方法が、いままでのところ高橋源一郎の書評をあてにすることなのだ。もちろんハズレを読んでしまうことも含めての読書体験であるべきなのだが、加えて言えば高橋源一郎の書評をまず読むことによって作品を読むときに必要な一定の視点を手に入れられるという利点もある。
僕のような純文学音痴が純文学を読むためにはどうしても氏のような導き手が必要ということだ。映画なら社会人になりたての頃、現実逃避の目的も込みで週末に四本も五本も観ることで、ハズレも含めた映画体験が可能なのだが、小説は週末に四冊も五冊もというわけにはいかない。まだ人生は長いので、そのうちトーマス・マンも読まなければいけない。