アンリ・マンソンジュ『文化行為としての性交(フォルニカシオン)』

■会社の昼休みに大型書店の哲学書コーナーをぶらぶらしていたら、今さらながらといった感じでデリダ特集の棚があった。「あった」と書いたが実は数週間前に訪れたときからすでにデリダの棚はそこにあったので、「まだあった」と書くのがより正確だ。
その棚にはデリダの解説書(もっともデリダに対する注釈というものが可能だとしての話だが)や伝記(もっともデリダは自らの伝記的事実が事実であること、ましてその「事実」に自らの思想の起源を見出しうることについて異議を唱えるだろうが)も並べられており、その中にアンリ・マンソンジュによる『文化行為としての性交(フォルニカシオン)』という書物があった。
デリダの解説書として文化人類学風の書名が並んでいることに違和感を覚えて手に取り、しばらく立ち読みしてみたのだが、確かに脱構築の書であることに違いはなく、デリダの著書に隣り合っていることが納得された。ちょっと立ち読みしただけなのだが、この本はあらゆるものが脱構築されている中で、なぜセックスだけは脱構築されないままなのか、セックスだけが依然として現前する記号として存在するのはなぜか、ということを論じているらしい。
ジャック・ラカンの『セミネール』からすっかり精神医学関係書に脱線したままなので、久しぶりに脱構築の書でも読んでみようという気になった。どうやらこのアンリ・マンソンジュという思想家(?)について、マルカム・ブラッドベリという英国人が書物を一冊書いているようなので、いつも訪れる近所の図書館でまずはそちらの方を借りて読んでみたい。その書物は『超哲学者マンソンジュ氏』という題名で、柴田元幸という人が翻訳している。