中井久夫『徴候・記憶・外傷』

■中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)を読み終えた。身体論など哲学的なエッセーについては、対談の相手が鷲田清一とあっては僕としては内容の論理的強度がやや物足りないので、やはり「治療」や「症例」の章が興味深かった。
「高学歴初犯の二例」では犯罪者の心理が説得力のある説明を与えられているが、中井氏はこの心理分析を、裁かれる人間にとって納得のいく判決文を作るために引き受けている。犯罪者が刑務所を出た後に更正した生活を送れるかどうかは、判決文が彼らの心理を代弁している必要があるという観点は新鮮だった。また、精神科医仲間の余興の席か何かで、若手の臨床医が中井氏の診察のモノマネをして、小さな声で患者さんとぼそぼそ何かを話していたかと思うと、最後に大きな声で患者を励ましながら握手をして診察が終わるというコントをやったところ、大ウケだったと氏自らが紹介しており、私の治療は傍から見ればそんな風に見えるのかもしれないと書いているのが面白かった。
決して精神療法の有効性を見捨てない中井氏は、一言でいえば深い人間理解に基づく治療を実践しているといったような紋切型におさまってしまうのだが、精神医学の臨床は治療者にとっても患者にとっても、そのつど一回限りのものであるという主張は、普遍性を要求する「科学としての医学」という通念を相対化してくれる。