メラニー・クラインを読んで自分の心気症に気づく

■フランスの現代思想家のなかでほとんどまともに読んだことのない唯一の人物がラカンだ。『エクリ』は手におえないので、最近10年ぶりに英訳書で『セミネール』を読み始めたというのは以前この日記に書いたとおりだ。ところが読み始めると精神分析に関する基礎知識の不足を痛感し、フロイトの『ヒステリー研究』や全集の『技法論』などを読み始めた。また『セミネール』に子供の症例が引用されているメラニー・クラインのNarrative of a Child Analysisも読み始めている。
すると面白い発見があり、hypochondriaという単語が分からずに英和辞典でひくと「心気症」とある。それでも意味が分からないので国語辞典をひくと「自分の健康状態について必要以上に心配して各種の自覚症状を訴えるとともに、訴えた自覚症状にとらわれ一層不安になる状態」。
あはは、小学生の頃の僕は心気症だったんじゃないか。Narrative of a Child Analysisに登場するクライン女史の子供の患者もヒポコンドリアだったらしい。もちろんこの子供は神経症の一つの症状としてで心気症だったのであり、僕は単に神経質すぎる子供だっただけなのだが。
たとえばあれは小学5年生ごろだったか、乳首にできたしこりが心配で眠れなくなり、親に言って大学病院で診てもらったら単なる成長期の性ホルモンによる現象で恥かしい思いをしたり、もっとひどいのは、それよりさらに数年前、人間の鼻から入って内臓を食い荒らし肛門から出てくるという妖怪の話を小学校の図書館で読んで怖くなっていたところへ、ある日の夜、ベランダで何かを鼻から吸い込んだような錯覚に陥り、それをきっかけに日中、なんのきっかけもなく過呼吸になったり動機がしたりするようになったので、大学病院で何日かに分けて大がかりな精密検査を一とおりしてもらった挙句、まったく異常なしという結論になったり。
三十歳を過ぎた今になって子供の頃の謎が一つ解けるというのは何とも愉快な気分だ。あのときの大学病院の小児科の医者に心気症など思い至らなかったのか、あるいは、そんな大仰な病名を口にすると、これまた神経質だった僕の母親がいらぬ心配をすると思ってわざと言わずにいたのか、どうだったんだろうか。