三匹の犬のたとえ話

■仮にあなたがかわいい犬を三匹飼っていて、国際ドッグショーで三匹ともが素晴らしい芸をみせて入賞してくれたらと願っていたとする。ところが一匹は優良犬泥棒に盗まれ、別の一匹はどういうわけかある朝家を出て二度と帰ってこなくなる。そうなればあなたは残った一匹に人の目も気にせず病的な愛情を注ぐだろう。あなたが幼いころ両親から盲目的に愛された経験があればなおさらそうだ。
しかしよく考えてみれば一匹を盗まれたのも、一匹を野良犬にしてしまったのも、それらの犬をしっかり引きとめられなかった飼い主の責任なのだ。自分の不注意で残り一匹にしてしまった犬を、傍目にもそれと分かるほど溺愛するのは、じぶん勝手と非難されてもしかたないだろう。迷惑なのは溺愛される残りの一匹の犬だ。自分には何の責任もないのに、ドッグショー入賞という飼い主の欲望を実現するためのダシにされる。
ふつうに考えればこんなことはおかしい。飼い主は自分の責任を明らかにするために、ドッグショーの入賞を逃すという結果を甘んじて受けるべきなのだ。ドッグショーの入賞が目標のすべてといった世の中になった途端に、人々はその目標を実現するために手段を選ばなくなる。