日欧の業務改善手法の根本的な違い

■業務プロセスの標準化とはプロセスの途中でいつ、どのような成果物を作成しなければならないかを定義することだが、これはふつう「どのように」業務を行うかを意味するプロセス(=過程)を、「なにを」産み出すかという成果で置き換えていくことに他ならない。
それまでそれぞれの人が自分なりのやりかたでバラバラに進めていた仕事の過程について、その途中で「なにを」作成しなければならないかを定義し、その作成を強制することによって過程が標準化される。
別の言いかたをすれば、仕事の過程をいくつかの段階に区切り、それぞれの段階の最後に産み出されるべき結果を定義する。そうすることで誰がその仕事をやっても、同じ過程をたどるようにする。それが業務プロセスの標準化ということだ。
日本人会社員の多くは、業務を改善するために業務プロセスの標準化ではなく、業務プロセスに習熟する方法を選択しがちである。日本人会社員が単に「業務改善」と言われたときには、その業務に習熟する努力によって、そのプロセス(過程)を迅速に処理することを目標にしがちだ。
ところが欧米から輸入された業務改善は業務プロセスの標準化によって、つまりプロセス(過程)をいくつかの結果に置き換えることで、人による方法の多様性をなくして業務改善を実現しようとする。「日本風」の業務改善は過程を過程のまま、それに習熟することで改善しようとすることで、つまり、「どのように」を洗練させることで業務改善を実現しようとするのに対して、「欧米風」の業務改善は過程を複数の結果に変換することで、つまり「どのように」を「なにを」に置き換えることで改善しようとする。
そのため、新しい「どのように」を求めている日本人が、そのかわりにいくつかの「なにを」すべきかを与えられると、期待が裏切られることになる。そしてこんどはその成果物を「どのように」作るのかという問いに対する答えを求め始める。
しかし一つの仕事の過程をいくつかの段階に区切って「なにを」に置き換えるということは、その区切られた一つひとつの段階がそれ自体がまた一つの仕事の過程になるということだ。その「なにを」を作るためにはまた「どのように」を問わなければならないことになり、欧米人はそれに対してさらにそれをふくすうの「なにを」に分割することで改善しようとする。このようにして業務プロセスの成果物による微分が際限なくつづくことで、業務プロセスは徐々に精緻に標準化されていく。
日本風の業務改善は逆に、過程を過程のままで習熟によって改善しようとする。業務改善になじみのない読者は僕が何を言っているのかお解かりいただけないかもしれないが、これは業務改善における文化的差異に関するごく短い試論だ。僕がいちばん問題にしたいのは、このような文化的差異の存在に気づきさえしないまま、「欧米風」の業務改善手法を日本人の組織に適用している日本企業が山ほどあるということだ。