ジャック・ラカン『セミネール』英訳

■最近は米Amazon.comから入手したJacques LacanのSeminaireの英訳をぼちぼち読んでいる。『エクリ』に比べれば格段に分かりやすいし、現場の雰囲気が生々しく伝わってくるところも面白く読めるのだが、それでも想像界、象徴界、現実界を凸面鏡の前に置いた花瓶の実物と花束の虚像の例えで説明してもらってもまったく理解できないのだ。今読んでいるのは英訳で出版されている第一巻Freuds Papers on Technique (Seminar of Jacques Lacan (Cloth), Bk 1)で、フロイトの技法論が主題になっているため、図書館でフロイト全集の該当巻を借りてきているが、ここには通称ラットマン、シュレーバー氏、通称ウルフマンの3つの症例が記述されている。セミネールの中で受講者が発表する事例を読むにつけても、精神分析にとって症例研究がいかに重要かが痛感される。彼らには目の前の患者を治療するという第一義的な目的があり、あくまでそのための技法であり、理論なのだ。ラカンからネオアカ受けするポストモダン思想の上ずみだけをすくいとることに不遜さを感じてしまう。一人のパニック障害患者としての情緒的感想かもしれないが。