日経の興膳宏氏コラム批判への反論への反論

■予想以上に苛烈だったインフルエンザとの闘病生活をようやく終えて一週間ぶりの「愛と苦悩の日記」だが、前回の興膳宏氏批判について、「傍若無人」という言葉の説明のためのコラムの中で単なる例示でしかない部分の欠陥ともいえないような欠陥に乗じた批判は不適切であるとのご指摘を、ある読者の方から頂いた。
言うまでもなく僕はコラムの中の非本質的な部分だからこそ批判したのである。仮に「人は見かけによらぬもの」という言葉の説明のためのコラムがあったとして、その例示に、らい病患者が例として挙げられていたら、日経新聞読者の誰もが偏った例示だと考えるだろう。
このように容易に意識化される偏見については、熊本県の某ホテルの支配人など少数の事例をのぞいて、取り立てて批判する必要もない。批判するまでもなく、誰もがその偏見を指摘できるからだ。しかし「傍若無人」という語の説明の例示に、若者、アベック、高校生が登場して会社員や中年女性が登場しないその偏見は、あえてことあげしないかぎり誰も気づかないおそれがある。
だからこそわざわざその部分だけを取り上げて批判する意味があるのだ。「僕のように思う新聞の読者が多くない」からこそ、僕が批判する意味があるのだ。興膳氏ほどの社会的地位のある人物が、自分の注意の行き届いた部分でうっかり自分の偏見を露呈させるほど無防備だとは考えにくい。それだけに、例示というあまり重要でない部分にこそ偏見が現れやすくなる。それだけの社会的地位があるなら、自分の言葉が印刷物として定着され、何百万人という日本経済新聞の読者に読まれることを自覚すべきなのだ。