自明なボトルネックに気付かない職場

■二日前の日記で制約性理論のことを書いたが、どうやら僕の職場で恒常的にボトルネックになっているのは、日本語から英語、英語から日本語への翻訳工程のようだ。日本語のまったくできない少数の外国人と、英語がそれほど得意でない多数の日本人が同居している職場では、どこでも状況は同じだろう。
日本語だけで作成していればその日のうちに完成する資料でも、専門の担当者に翻訳を依頼するだけで半日以上は確実に遅れるし、いい加減な翻訳をしようものなら、相手の誤解をとくために会議が中断したりする。誤解に気づけばまだいいほうで、気づかないまま話が進んで、後になって「どうもヘンだぞ」となり、ようやく翻訳の不備に気づくことさえある。
しかもこの翻訳の工程は、ほとんどすべての社員がからみ、パソコンやコピー機のように、慣れればなんとかなるというものでは決してない。職場で言いたいことを正確に伝えるための英語力を身につけるのは、それほどかんたんなことではないのだ。
そう考えると、このボトルネックを解消することで、この種の職場は劇的に、ほんとうに文字どおり劇的に効率化されるはずなのだが、だれも真剣にそのボトルネックをなくそうとしないのはまったく不思議だ。たとえば、僕は海外生活の経験がなく、話す・聞くはいまひとつだが、読む・書くについては仕事に必要な正確な表現ができるだけの英語力はある。
しかし仕事の波によっては、一日の半分以上をいままでの仕事の整理に使うだけの日もけっこうある。そんな日にあたりを見まわすと、仕事が山積みの翻訳担当者がいたり、英語の資料を読むのに苦心している日本人がたくさんいたりする。
僕のようにあまり目立たない社員が、翻訳工程のボトルネック解消などを提案しても、こんな現場レベルの問題をお偉方がまともに取り合ってくれないことは分かっているし、いつになったらみんなが気づくのか観察していたいので黙っている。僕が「サラリーマン社会」でフィールドワークをするようになって10年近くになるが、こういった実に不思議な現象がときどき観察される。